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2010年9月1日(水) – 2010年9月10日(金)の予定で、グッドネーバーズ・ジャパンさま(GNJP) http://www.gnjp.org/ の被災地救援活動のお手伝いをさせていただくことになりました。この記事ではその活動の記録を綴ります。
活動予定地 Khyber Pukhtoonkhwa ハイバル・パフトゥンハー州(略称KPK、旧北西辺境州) Nowshera ノウシェラ郡 Risalpur リサルプール市 地図 http://bit.ly/bqCZcB
活動内容 救援物資・生活物資の配布 → GNJPさまのサイト http://www.gnjp.org/rep…
2010/09/02木曜日
Nowshera ノウシェラ市街の家で被災の様子を見せていただく
Nowshera ノウシェラ郡にて被災した方に水害の様子をお聞きする。
朝食をとり、09:30にイスラマバードの宿舎を出発。ソンさん(GNPK所長)の自家用車で、ソンさん自らが車を運転して Nowshera ノウシェラに向かう。
高速道路、GTロード(一般道)を使い、12:00すぎにNowshera ノウシェラ郡に到着。ここでソンさんは携帯電話で連絡をとりながら、知人と会う場所を相談。
12:30すぎ、 Risalpur リサルプール市に到着。市内の軍の駐屯地そばにあるクリニックに到着。
このクリニックのドクターをソンさんの車に乗せて、ノウシェラ市街から程近い、テントキャンプを訪問する。

UMMAH http://www.ummah.net/ イスラームの同胞組織からの援助で設置されたテント村。でも半数はキリスト教徒、半数がムスリムの構成になっている。(2010年9月2日)
ここで被害に遭われた家を順番に見て回り、被害状況を把握する。

ここには数軒の家が入居していたが、洪水によって完全に破壊された。
人々は着のみ着のままで逃げるのがやっとで、全ての家財道具は流されたか泥と瓦礫の下にある。

↑の写真の建物の中に入ってみる。完全に屋根や壁が崩落し原形をとどめていない。
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2010/09/01水曜日
未明の関空発フライトで朝方バンコク着。
12時間以上次便待ちになるので、カオサンまで出てきて思いっきりマッサージしてもらう。
足に1時間、タイ式1時間の2時間、400BHTほど。
夕方、空港にもどりチェックイン。
背中に「SRC PB」とインドネシア国旗を胸、帽子につけた一団が。
Satuan Reaksi Cepat Penanggulangan Bencana
災害緊急援助隊 Rapid Reaction Unit for Disaster Management のみなさんらしい。
他に国際機関の欧米人、日本人、大多数がパキスタン人。
あと10日ほどで EID イードなので、故郷で過ごそうと帰省中の海外在住パキスタン人も多いようだ。
待合室で仲良くなったのが、オーストラリアに住んでいるという、アボタバード出身の若い青年。
留学でオーストラリアに行き、そこで仕事をみつけて住み始めた。
2年ぶりに故郷へ1ヶ月の予定で帰るんだという。
家系がパシュトン系だということで色白だが、穏やかな人柄だ。
座席の背中越しには、セーブ・ザ・チルドレンの仕事をしているという子連れのアメリカ人女性が、先程のインドネシア人援助隊の方たちと話している。
このインドネシアの方も Nowshera ノウシェラに入られるそうだ。
で、アボタバードの青年越しに座っている日本人のお若い男性の方とお話をすると、4日ほどの日程でイスラマ・ピンディに観光で滞在においでになるのだという。宿の予約もされていないということなので、イスラマバード空港に着いたおり、もし良ければご一緒においでになりますか?とお誘いする。
30分遅れてバンコクを離陸。2-4-2 のシートパターンを持つエアバス?機は9割方埋まった搭乗率。
大きな揺れもなく22時半(日本時間は4時間足して、2日午前2時半)にイスラマバード空港着。
情報で、水害援助にあたる外国人はアライバルビザが取れると書いていたが、イミグレの一番右の外国人専用ブースの上に、Respectable Foreign Donor という張り紙がしていたので、本当にそういう対応をしているのかも知れない。
イミグレを済ませると、先程の日本人男性さんが、そばにある両替ブースに行っていたので私も5000円ほど両替してもらう。(都市部ならパキスタンでは日本円両替できます)
空港の両替はレートが悪いはずだが、それでも 10000JPY=9600PKR になっていた、ほぼ1ルピー=1円。円高ルピー安が更に進んでいる。
荷物もピックアップ、その荷物を検査機にかけるのも終えて(パキスタンでは到着しピックアップした荷物をX線にかけないといけない・・・たった1台でやろうとするから、すぐつかえて大渋滞する。詳しくチェックできないだろうし、無駄なセクションだと思う)、エントランスへ出ると出迎えに来たすごい数のパキスタン人たちが。
2003年7月に協力隊で赴任した時のような、日本にはない独特な香りに包まれた記憶と同じ匂いだ。
で、分かりやすい場所に数人の韓国の方とパキスタンの人たちが。
グッドネーバーズ・パキスタン事務所長のソンさんたちだ。大変にこやかな表情で歓迎してくださる。
・・・と、私、今回のイスラマ到着時にもうひとつ大切な仕事がある。
それは、後輩協力隊員さんにあたる Nさんの旦那さん(フンザ人)の兄弟に託されたパソコンとカメラをお渡しすること。やっぱり日本で買う製品が人気あるし信頼できますし。
でも、すごい人だかりでなかなか見つからず、その間にソンさんとお話する。
ソンさんはパキスタン在住15年。驚いた。ウルドゥ語が大変流暢だ。
以前は別組織にいらっしゃったそうだが、2005年の大地震以降グッドネーバーズさんとご一緒されているとのこと。
アボタバードに事務所があるほか、 Haripur ハリプールに職業訓練センターを設置して活動されているそうだ。
出迎えに来てくださっているとき、よく着こなされたシンプルなシャルワールカミーズ(民族服)のいで立ちだったが、普段からシャルカミで過ごされているという。パキスタンでの生活をよくご理解されていると思う。
そうしていたら、お目当てのアンゲーズさんとお会いできた。
ずっと長いこと待っていてくださっていて、あらかじめNさんにお願いしていた「T○○○」の私の名前の紙もお持ちだった。
関空から機内持ち込みで運んできたから、絶対壊れていない・・はずのパソコン・デジカメをお渡しする。あーよかった。で、先程の日本人男性さんに、このアンゲーズさん、フンザの人でとても信頼できるから、もし良ければ彼にラーワルピンディのホテルに連れて行ってもらったらいいですよ、とオススメする。
アンゲーズさんも、それはいいね!と、コミッティーチョークそばにあるフンザ系のホテルに友達価格で泊まれるよう言ってあげるよ!と勧めてくださる。
私たち日本人といるより、折角のパキスタン旅行、
ローカル、しかも安心感フレンドリー感日本人との相性の良さ感ではピカイチのフンザの人と過ごすのがなにより楽しいですから~とお二人を送り出した。
(あとで、アンゲーズさんから電話で「彼の滞在中、あちこち回ってあげることにしたよ」と報告が。そう、パキスタンの楽しさはこういうとこなんだよなぁ)
ソンさんは大型のハイエースで来てくださっていた。自分で運転されている。
英語での会話もいいが、ウルドゥで会話するのがパキスタンらしくていい。
私たち協力隊員とおなじ職場に、韓国の協力隊(KOV)の方が居ててとても仲良くさせてもらっていた。
http://www.ktc-johnny.com/2004-10-11-kov.html
日本語、ハングルがお互いに分からないので、ウルドゥ語に英語の単語をまぜて会話していたものだ。
日本・韓国のボランティア同士で結婚したケースもあり、異国の地で協力しあって生活していた・・・そういう記憶がソンさんとウルドゥ語で会話をしているとよみがえる。
ソンさんが予約をしてくださっていた、イスラマバードのゲストハウスに到着。
本当に偶然だけれど、昨年12月に私がイスラマバードに来たとき泊まっていたゲストハウスの2軒となりだ。
今回泊まるこのゲストハウスもつながりにくいがWifiがあって、こうやってブログを更新できる。
ソンさんのお考えは、明日、というか、今日2日(木)にNowsheraに行って、物資配布可能な場所をリサーチするということだ。
グッドネーバーズさんは韓国、日本からそれぞれ資金の提供を受けていて、こちらで購入・配布の計画だ。
購入関係ではすでにリサーチされていて、格安で買えるお店は見つけていらっしゃるとのこと。
日本を発つ前にずっとお世話になっていたベーグさんと電話ができた。
TV局クルーのみなさんのアテンドが終わると、今日2日はお時間があるようだ。
現地の情報、車の手配等、いろいろご相談させていただくことにする。




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