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映画 : 青い鳥

2008年12月18日(木曜日)追記

きょう、札幌ユナイテッドシネマで「青い鳥」@2回目を観る。

映画「青い鳥」公式サイト: http://www.aoitori-movie.com/

1回目観たときのような、細かいところでの演出の違和感をきょうは感じなかった。
園部役の本郷奏太だけでなく、井上役の太賀も村内先生が来てからこころを揺さぶられ、ありのままの怒りや葛藤をぶつけながら何かが変わっていきつつある、そう見えるようになった。
原作では温厚さがにじむ村内先生像。
映画では阿部寛が自分の持ち味を生かしながら作り上げている。
「本気で生きるんだ」というメッセージを観ている我々大人たちへ阿部寛の体を借りて村内先生は発している、きょうはそう感じながら観ていた。

村内先生は、教師の仕事を「生徒のそばにいてあげること」ではないかと語る。
そしてそれは、かけがえのない「いのち」のそばにいるということ、そういうことだよな、と思う。

原作の「青い鳥」を繰り返し読んでいる。
どの短編も読むたびに少しずつ違うこころの部分を針で刺されるような心地になる。
はじめの「ハンカチ」も良かったし、「お守り」も、それに「カッコウの卵」もよかった。どの短編もいいのだ。
何回読んでも心を打たれて涙ぐんでしまう。電車で読むときは気をつけないと。
それぞれの短編に出てくる村内先生に自分を重ねてみようとしたり、言葉に表されていない内面で思うことはなんなのか考えたりする。

この「青い鳥」それに「おくりびと」を観てから興味を惹かれて買った「メメント・モリ」の2冊は、これからもずっとずっと自分の傍らに置いておこうと思っている。


2008年12月03日(水曜日)追記

きょう、青い鳥の原作を借りた。

原作は30ページほどの短編。
映画も原作も語りかけようとすることは同じだと思った。
映画の中でとても印象的だった村内先生の言葉を原作のなかに見つけて読み返す。
映画を観るだけではよくわからなかった、「青い鳥」と題名がつけられた意味。
「青い鳥」には幾重にもこめられた意味があることを知る。

きょうは、仕事帰りに「おくりびと」を観た。
「納棺夫日記」を出発点に本木雅弘が15年来見聞きし、考え、あたためていたものを映画化したもの。
脚本がよく練られていて、キャストがみんなとてもいい仕事をしている。
今年度の有力な賞を多く獲るのを疑わない出来。
言葉で表現されたものを、ここまで映像に描ききれるのか、と深く感動した。

原作を脚本・演出の面で練り上げていくという点では、この「青い鳥」はもうひと練りあるとよかったかな。
でも、村内先生が語る言葉。その重さは原作を読んで改めて感じたから、それをかみしめにもう一度観に行こうと思う。


2008年12月01日(月曜日)

昨日(11月30日:日曜日)はTOEICを受けた。
今年7月に続いて2回目。
2ちゃんねるの英語板 http://academy6.2ch.net/english/
では受けた人たちが答えの情報交換をしているからそれを参考にどれくらいできたかを確認する。
クリスマス前にはスコアがWEBで確認できる。ドキドキする。
これでひと段落。
で。

今日(12月1日:月曜日)は天気も良く、
道も歩きやすそうだったので、仕事帰りは夏の時のようにドンドン歩く。
1時間半ほど歩いて、サッポロファクトリー へ。
モンベルのショップでも行ってみようと。
で、着いてから思い出した。今日は1日。映画サービスデーだ!
1000円で映画で観ることのできるお得な日だ。

早速ファクトリーの中にあるユナイテッドシネマに行く。

事前に映画紹介サイトでチェックしてなかったので、入り口の上映スケジュールの中から選んでみる。
「おくりびと」 http://www.okuribito.jp/
観たいなぁと思っていて観そびれている映画だが、この映画館では今日は上映が終わっていた。残念。

それで他には・・・と見ていると 阿部寛 の名前が。
先日11月29日から公開されたばかりの
「青い鳥」 http://www.aoitori-movie.com/ の主演をしている。

阿部寛に興味を持ったのは昨年から。
職場の同僚の先生に誘っていただいて観たのが、
「自虐の詩」 http://www.jigyaku.com/index.html
2枚目役もよし3枚目役もよし。その役にまじりっけなしで自然にぶつかっている、そんな印象を受けた。

そして今年。また誘っていただいて、道新ホールであった

「歩いても歩いても」 http://www.aruitemo.com/index.html

のプレミア上映に出かけた。
そこに是枝裕和監督と主演の阿部寛がゲストで来ていた。
前から5列目くらいのところで観ることができたが、初めて生で見る”阿部ちゃん”って、でけぇーーー!
190cm以上あるらしいけれど、
その背の大きさ以上にその語り口から伝わる彼の謙虚な人柄が大きくどぉーんと伝わってきた。

「歩いても歩いても」はこのプレミアの後にシアターキノでもう1回観なおした。
原田芳雄、樹木希林、YOU、夏川結衣、寺島進といい役者が揃い、脚本もよく練られていた。
日常のあたりまえの家族の様子を、是枝監督が実にうまい描き直しをして撮った映画だ。
だからどんな内容かよくわからなかったけれど、阿部寛が出演しているというところで「青い鳥」を観ることにしたんだ。

(以下、ストーリー紹介も含んでいます)
映画の舞台は(たぶん東京の)ある中学校。
ここで、いじめにあった生徒が自殺未遂を起こしてニュースや週刊誌で報道される。
その生徒は転校し、担任は休職。
そのかわりの臨時教師として赴任したのが阿部演じる村内先生だ。
2時間弱の映画だが、時間の長さをまったく感じなかった。
いじめという重いテーマの映画だが、いじめを受けた生徒が転校した後からを描いていて、いじめを受けている場面などの深刻なシーンは出てこない。
けんかをするシーン、クラスの中で言い合いをするシーンなどぶつかり合いの場面は出てくるが、
そのあたりもデリケートにジメジメしすぎずに描かれている。

村内先生が学校に着いて見るのが「新生東ヶ丘中」と書かれた看板。
まずここに「いったい何が”新生”」なのか?という暗示がされているようにそう思えた。

原稿用紙5枚以上&全教師のチェック済みの反省文。

学校の謝罪。

青い鳥BOX(投書箱)運動。

でもそれは上っ面をなでただけの、体裁を整えた形だけのように見えてくる。
大人の社会をそのまま学校に持ち込んだだけ、そういう強烈なメッセージが伝わってくる。
そうした問いかけを監督はしてくれているが、その後の組み立てではもったいないなと思う部分があった。
ひとつはいじめた子たちのこころの変化の描かれ方があっさりしていると感じたこと。
自分たちがいじめていたという罪の自覚をしていくところはよかったが、
「あいつ(いじめられてた生徒)は俺たちよりも何万倍もいいやつたちと友だちになっているだろうなぁ」
と話し合うシーンにリアリティがなくて感情移入ができなかった。
いじめたことの罪の自覚をうながし、そのことを忘れないという責任を教えている映画だが、その場面は回想シーンのようになっているように感じられてどうにも映画のメッセージとうまく混じり合わない心地がした。

それとひとつは、村内先生が最後の授業の場面。
もう一度、自分のために作文(反省文)を書き直すシーン。
強制ではなく生徒が自発的に作文をひとり、またひとりと書いていく。
では、その書いた作文をどうするのか?そのことを忘れないという責任の取り方の先にこんなのがあるよ、というような何か提案やメッセージがあってもよかったように思えた。
いじめられた生徒は、もう過去のことなど忘れたいという気持ちもあるだろうけれど、いじめた生徒がその罪をしっかり自覚したときにそのことをなんらかの形でいじめられた生徒に伝えることも責任の取り方ではないのか?そう思えるからだ。

自分たちで答えを探し、自分の言葉で考える。本気になることの大切さを伝えた映画だから、あともう少しだけ、村内先生が生徒達にどういう手をさしのべるのかが観たかった。

この映画について
みんなそれぞれのつっこみどころはあると思うが、私の場合はこのくらいで。

私はどぉーんと共感する部分がたくさんあった。
村内先生は吃音があり、話すのにつっかえつっかえする。
それと、セリフではまったく語られなかったが、校舎の屋上で村内先生が写真を見つめるシーンがある。
それは以前どこかの学校で勤めていたときのクラス写真だ。
そのなかにひとりカメラに目線を向けずうつむきかげんでいる生徒がいる。
村内先生がこのクラスを担任したときに、この生徒になにかあった、そう暗示させるシーンだ。
村内先生はきっと吃音でいじめられたり、からかわれてきたのだ。
昔、担任したクラスで何か事件があったのだ。
それは、村内先生の中で心の傷になってきたのだ。
私は10年前に中学校の担任の仕事を投げ出していったん教職を辞めた。
担任した生徒たちにもその親御さんたちにも職場の同僚にも大きな傷をつけた。
同じように自分も傷つけたのだと思う。
その傷をふさぐために協力隊を志してそのためにがむしゃらに年月を過ごしてきた。
弱い自分をたたき直して、強い自分、負けない自分をつくる、そういう勢いだったのだろうと思う。

でも。。。。
それは違うな、と思うようになったのが協力隊から帰ってきたここ1,2年。
その教師をいったん辞めたときと状況は違うけれど同じような失敗を繰り返している自分ていったいなんなんだ。
それをそのときの様子をありのまま正直に思い出して見つめ直すようになっている。
そうしたことは過去のこととして流さず、自分が一度しかない人生のこれからを生きる中でも忘れずに携えていきたいと思っている。

どういかせるのかはまったく分からないけれど。
人生のなかで確かに大切だと思うことは、

自分と向き合うこと。
自分のありのままをよくみつめること。
自分にとって傷になったことも逃げずに見つめて、自分のなかで全きものにすること。

そういうことだと分かってから、

自分が「いろんな経験をしたんだぞ」と思い上がって生きてはいけないということ、
自分が周りの人のおかげで生きていること、

そういうことを強く思うようになっている。
映画チラシの中に村内先生のこんなセリフがあった。

「人は弱いから、強くなろうとする。でも、強くなんて、ならなくていい。頑張るだけでいいんだ。
今より少しでも、人の気持ちを想像するだけでいいんだ。」

この村内先生の振る舞いや考えはピターっと自分とオーバーラップしてとても共感できる。
村内先生は多くを語らない。
語らないけれど、ものすごく繊細で敏感な感性のアンテナを持っていると感じさせる人間像だ。

この感受性は、自分が傷ついたことで、自分が他人を深く傷つけたことを自覚することで、他人が何かに傷ついていることを感じ取ろうと真摯になることで、より確かなものになるのだと思っている。

それと、私がいま思うことに沿うと、

強くはなれないかもしれないけれど、そうした感受性を持った人は何か間違っていると思うことに対して放っておけなくなる。放っておけないことに、信念を持ってぶつかっていこうとする。

それが、原作者が村内先生像にこめた「頑張る」ということではないだろうか。
もし村内先生が吃音ではなく、弁舌さわやかな人だという設定だったら、生徒への伝わり方はどうだっただろう?

この映画の中で村内先生が話す言葉は少ない。
だから話す言葉ひとつひとつに重みを感じるのだが、無言のなかのひとつひとつの振る舞いにも重みがあって、それが生徒にも観客にもぐっと伝わってくるように思う。

Wikipediaで知ったが、原作を書いた重松清は、吃音で苦労したという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%9D%BE%E6%B8%85

そうした原作者自身の経験から培ったものを、村内先生のなかにこめているから、心を打つ作品になっているのだと思った。

原作を読みたい!
早速、札幌市図書館WEBで予約をする。借りたいときに家のパソコンや携帯から簡単に予約できるからとても便利だ。
この物語はフィクションかも知れないけれど、
問いかけてくるもの、伝えたいと思うものは、本物だ。
ストーリーの組み立て、や人物描写など脚本の練り上げ方で注文をつけるところはあるけれど、良い映画を観させてもらったと思っている。

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