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パキスタン・イスラマバードで活動した(2003年-2005年)もと青年海外協力隊員(養護)のウェブサイト。
「パキスタンの街角から」 としてアップしてきたものは変わらず。動きゆくいまを ktc-johnny.com として。

2008年10月28日(火曜日)

札幌市 手話講習会

【2008年10月27日(月曜日)追加】

今日が区ごとで行われる講習会の最終日。
いつもの区民センター、いつもの時間。
今日は受講生ひとりずつ手話でスピーチをする日だ。

みんなの前に立って、手話でスピーチをする。
原稿を書いてきて(ワタシもそう)、お話をする人も多いがその場で話すことを思いついて手話表現する人も多いように感じた。
で、みなさん、とても手話でなめらかにさりげなく表現される。

へぇ~、すごいなぁと感心する。
毎週1回の講習会だったけど、積み重ねて半年。
ぎこちなかった表現がだんだんからだに馴染んできてスッと表現できるようになってしまっている。

積み重ねること→体にしみつく→継続は力

そういうことなんだなぁ。

それにしても、みなさんのお話のバラエティの広いこと。

・ホテルでの仕事。ろうわ者のお客さんから手話が上手だとほめられたというお話。
・手話を学んでから、ろうわ者の方をたすけることができる自分に変われたことを喜ぶお話。

などなど、30人近くの方が順番にお話されていく。

講習会の途中、大病を急に患い、死への恐怖やそれを乗り越えようと思う気持ちをお話された人の時には、自然と温かい拍手が湧いた。

また、ある方がこんな風に話をされた。

”だんだん講習内容が難しくなってきて、次の講習会に参加するのが苦痛になり、もう行くのやめるか→ま、がんばるか、ってことを繰り返した”
”が”
”それを救ってくれたのが「カンニング」だった。”
”全体の前で手話表現をしなくてはならなくなって困ったとき、まわりの受講生がスッと手話表現を教えてくれたこと(註:それをカンニングということばで話していらっしゃった)、それがうれしかった”

その「カンニング」というお話をされた方、途中手話の勉強大変そうと感じていたけれど、こうやって発表の場まで続けられたこと、みんなと一緒に最後までやってこれたこと、うれしいなぁ。
いや、ホンマによかったよかったと話をききながら思っていた。

・・・というこの札幌市手話講習会@初級の部。
はじめは簡単に思える回が続きます。
予習全然いらないなー、って。

と・こ・ろ・が。
中盤くらいからはその回の予習ができていないと、内容についていくのにやっと、、、という感じで、指名されて前に立って表現をしなければ行けないときは冷や汗脂汗がツーっと出てくる経験をしましたね(笑)。
テキストには絵入りで手話表現が載っているから、自学できるのですが、地域によって表現の仕方はいろいろ、で、絵だけでは分からない微妙なニュアンスは見て体得しないと、ということで難しくなってくる中盤以降は1回休むと、その遅れを取り戻すのにちょっとかかるという感じだ。

全部で20回ちょっとの講習会。
2回ほど休まなければいけなかったこと、15分ほど遅れて参加しないといけなかったことがあったけれど、最後まで続けて通うことができてよかったヨカッタ。

・・・そんなことをあれこれ思いながら、全員のスピーチを見聞きさせてもらう。
1人1分程度40分で終わるかな、と講師の方がおっしゃっていたが、みんな熱弁。1時間以上のロングランになった。

受講生のスピーチが終わって、今度は講師さん、アシスタントを務めてくださった方が前にたって挨拶。

”ぜひみなさん手話の勉強を続けてください。
健聴者の人は、(身に迫った必要性がないから)手話をやめることはいつでもできるけれど、ろうわ者は死ぬまで一生手話を使わなければいけません。ぜひ、続けて欲しいのです”

というお話には、うーんそうだなぁと。

そして、残りの時間で、北大手話サークル( http://211.133.151.119/hsc/ )の方が「愛唄」(GreeeeN)という歌を手話で披露してくださる。そしてそれをみんなで立って一緒に表現してみた。歌詞の意味を捉えながら別の手話表現に置き換えて、それを流れるようにパフォーマンスするようすは面白いなぁと感じた。

そうしているうち、あっという間に終了時間の8時半が過ぎて。
今日はこの後は近くの北24条駅前の居酒屋に移動して打ち上げだ。
受講生・アシスタント・講師の方で総勢40名の大所帯な人たちが連れ立って北区民センター→北24条駅前に移動。

そこでもみんな手話・口話まじえて楽しいおしゃべりの場となった。
参加されているみなさんの人柄が場を良い雰囲気に盛り上げているなぁと思いながら。
そんなときでも上手な方の手話表現はとても勉強になる。
講習会のテキストには載っていない、
「(つまらなくて)すべる」とか
「独身」とか
「反省」とか
「中途半端」とか・・・・うん、なんか否定的な表現ばかしのような(笑)。
手話会話が豊かになってくようだ。

そこでもあっという間に2時間が過ぎて。
お開きの時間になった。
そこからさらに2次会のカラオケに流れていく猛者もいて。すご~い。

4月以前なら同じ社会に住んでいながら、交わることがなかったろうわ者の方とこうして一緒の時間を楽しく過ごさせていただけることがうれしい。
いまよりも自然にさりげなく、でも楽しくろうわ者の方と過ごせるように手話は続けて学んでいきたいなぁ。

あと1回、全体の修了式が残っているけれど、
毎回の講習会が実りあるものになるよう準備してくださった、講師のみなさん、アシスタントのみなさんにありがとうとお礼を言いたいと思います。
それと、楽しい学びにしてくださった参加者のみなさんにもお礼と出会えたことのよろこびを言いたいと思います。

-------------------------
【2008年08月20日(水曜日】

手話講習会のテキスト

■札幌市の手話講習会案内(さっぽろデフタウンより)
http://www.normanet.ne.jp/~spr-deaf/syuwa.html

■社団法人 札幌聴力障害者協会ウェブサイト
http://www.normanet.ne.jp/~spr-deaf/syokai/index.html


手話を学ぶこと。
今年度、どうしても始めたかったことだった。
時間講師勤務になって、自由な時間が取りやすくなったのであれこれ調べていたが、

・テキスト代のみで無料であること。
・週1回夜に行われること。
・会場が各区の区民センターであること(であれば、家からメチャ近い)。

というところで、毎年5月~10月にかけて行われるこの手話講習会がちょうどいいと思った。
だが、話に聞くところでは私と同じように考える方が他にも多数いらっしゃるから大変人気のある講習会であり、応募者多数で選に漏れてもおかしくないということだった。

そっかぁ、もし駄目だったらほかの講習会とか教室を考えるか・・・・・。
そう思いながら、広報さっぽろに載っていた住所に往復ハガキで申し込み、結果を待った。
締め切りの日からややしばらく経った4月下旬。

”講習会受講が決定しましたよ~”
という通知のハガキ(往復ハガキの片方に印刷されて)が届いた。
これはとてもうれしかった。
そのハガキには1回目の講習会の日時・場所やテキスト代(2000円ちょっと)について書かれていて、さらに
”他にもキャンセル待ちをしてくださっている方がいますから、参加が無理になった方は連絡してください。また1回目の会に理由なく参加されなかった場合は強制キャンセル扱いになり、順番待ちをされている方に受講していただきます”
と書かれていた。
そうだよなぁ、受講できる人もいればできない人もいる。せっかく受講できるからありがたく思わないとなぁ。
そう思いながら1回目の講習会に臨んだ。

会場は、最寄りの区民センター。
家から歩いて3分もあれば着いてしまう。
きっと、この区民センターでの受講者さんのなかで1番目か2番目に会場から近いところに住んでいるに違いない。聞いたことないけれど(笑)。
受講者はざっと40人くらいだろうか。
講師はろう者(聴覚障がい者)の方。サポート役にも多数ろう者の方がいらっしゃった。7~8人はいらっしゃるかな。
そして手話通訳をする健聴者の方、受付などサポート役をされる方もいてざっと10人近くいらっしゃる。

午後7時。
一瞬、照明が消えて、また点いた。
こうして会の始まりを知らせるのだそうだ。これひとつでもとても新鮮な経験。

1回目は札幌市の聴力障害者協会の役員の方、区役所の担当の方のあいさつがあったり、この講習会の進め方についてのオリエンテーションなどがあった。
ろう者の講師の方が手話で話をされるときは、同時通訳を聞くことができるので講習会の中でメモを取ることはまずない。ずっと話者(ろう者でも健聴者でも)に注目しつづける1時間半になる。

講習会は毎回このように進む。

・全体講義(30分:前回の復習、今回の学習内容についてろう者の講師の方から説明を受け、実際に参加者が手話で表現をしてみる)
・ミニ理論(15分~20分:ろう者の方が自分の生活体験(就職、日常生活、結婚、聾学校教育など多岐にわたる)を話したり、昨年度の受講者の方や地元の手話サークルの方の話などを話(手話)を見る)
・グループ別学習(40分~45分:3グループに分かれ、全体講義の復習を中心によりじっくりと手話表現を練習する)

はじめの数回は手話表現を学ぶ前段階の身振りやゼスチャーに慣れるという学習だったり、各区の受講者が一堂に会しての全体講義だったりしたので負担は感じなかったが、それから手話表現を学び始める回が続いてくると、復習や予習が欠かせなくなった。

ろう者の方の手話での説明を同時通訳で聞くわけだが、そういう制約があってか予習復習の必要性をはじめはピンと感じずにいて、回のはじめの全体講義で新しい課の表現をいきなり手話でどう表現するか講師から聞かれるので戸惑うこともあった。

そういう濃密な内容がみっちり1時間半、休憩なしで続く(トイレは必要に応じて随時行ってもいいと言われている)。

講習会が始まって4ヶ月が過ぎようとしている。回数にして15回くらい。
やはり習うより慣れろなんだな。
何回も何回も繰り返し練習した表現は、頭で思い起こす前に自然に手が動いて表現することができる。
夜の講習会だから「こんばんは」とか「元気です」とか季節柄「暑い」とか。

それと、毎回楽しみにしているのは、ミニ理論の時間にろう者の方が話してくれる生活体験だ。

・ろう者の方を積極的に受け入れていた洋菓子メーカーの倒産、そして再就職。
・健聴者と一緒に仕事するときの不都合
(高熱を出していて休みたいのに電話で説明できないから、その病躯をおして会社に休みを届け出たという話は笑うに笑えなかった。)
・ろう者の夫婦に生まれた健聴者の子どもの子育ての苦労
(発作を起こし、口から泡が出ている大変な状態の子どもの様子にろう者の両親は気づかず、健聴者の兄弟がその異変に気づいて知らせ、一命を取り留めたこと、というすごい話もあった。)
・聾学校での口話教育について
(風船やティッシュペーパーなどいろいろな道具を使い、まさに特訓で口話を教わっていた昔の話と、今は口話も手話も両方取り入れていますよ、と受講者の現職聾学校教員の方からのお話に時代の流れを感じた)

など、実に多岐にわたる。
で、いいのは、そうした話をいろいろな角度から数ヶ月にわたって継続的に少しずつお聞きすることができることだ。いったん聞いた話をかみ砕いて自分なりにとらえ直す時間は必要だからだ。そうすることで一過性の話に終わらず、自分が将来そうした場面を追体験することがあれば貴重な予備知識にすることができるだろう。

で、この講習会が行われている期間、ろう者の方との交流を目的にしたビアガーデンでの飲み会や、キャンプ、ボランティア講習会の参加のお知らせもあった。
私は7月にあったボランティア講習会に参加した。
会場は手話講習会が行われているところと同じ区民センター、会場はいつもよりひろいホールだった。
講師は道内の聾学校を長年勤め上げて、現在は大学教授として教鞭を執られている先生。

この会でも私が知らなかったことをいろいろ聞くことができた。

・口話教育の重要性
私のそれまでの漠然とした印象では、口話教育には否定的なものがあり、聾学校での教育もすべて手話にすればいいんじゃない?というものがあった。
でも、日本語の文法に手話は対応してないところがあるし、「てにをは」などのこまかいルールなどを手話では重要視されていないので、健聴者と会話をする、就労をするということになれば日本語文法をきちっと口話教育で学ぶ必要があるということ、そういう見方があることは初めて聞いたのでとても刺激になった。(ただし、現在、手話のみで教育を行う私学もあるというお話だ)

とはいいつつ、さきほどのミニ理論で聾学校での口話教育について話されたろう者の講師の方が
「学校では口話しか駄目って言われていたから口話しかできなかったけれど、寄宿舎では手話で友だちと話していてとても楽しかった」
と話されていたから、ろう者の方同士のコミュニケーションツールはやっぱり手話なんだな、それが話しやすい手段なんだなということも後日感じたところだ。

・特別支援学校への改称反対、聾学校の名称を残して欲しい

障がい児教育に携わる業界の人たちの中では特殊教育から特別支援教育へ使う言葉や考えにすんなり移行している、そういう風に思っていた。
北海道は財政上の理由(校門の看板掛け替えるだけでも相当なお金かかりますから)から養護学校→特別支援学校への改称は、このブログがアップされた2008年8月現在まだ行われていない。
しかし、全国の趨勢は、その多くで特別支援学校と改称されているようだ。

しかし、この道内の聾学校の生徒・卒業生・親の会の多くの方が特別支援学校への改称を拒み、聾学校の名称存続を強く希望しているという。
それはなぜか。
その聾教育の専門性をずっと維持して欲しいという強いニーズがあるからだという。

特別支援学校への改称は、名前だけの改称だけではなく、障害種を問わずに子どもを受け入れるということを意味している。
それは、学校側があらゆる障害種に対応できるようにならなければならないということでもある。
知的障害の養護学校がこれからは肢体不自由教育の専門性をもたなければならないとか、そういうことである。

先日、ミニ理論でも特訓としか思えない口話教育の体験をお聞きしたわけだが、そうしたことがなしえるのはそれだけの専門性を有する教員が確保できていたということなのだろう。
特別支援教育になって、それまでの聾教育の部分の質が低下することを、生徒も親も心配しているということだろう。

それと、これは私の推測が入るが、聾(聴覚障害)ではない他の障害種の生徒との交流がうまくいくだろうかという懸念もあるのではないかと思う。

いまの世の中はインクルーシブ(障害のあるなしで分け隔てしない)教育に大きく舵を切ろうとしている。こうした流れは私も支持する。
ただ、前任校の高等養護学校で勤務して実感したことだが、現実は普通小学校・中学校でそれが特殊学級でも普通学級でもささいな障害のはずなのにいじめられたり、何かに失敗して悔しい思いをし続けて子どもたちがたくさんいる。
そうした子どもたちが高等養護学校に来ると、同じつらい経験をしてきたということでわかり合えることができる。それは寄宿舎生活で24時間寝食をともにすれば一層その傾向は強まる。

もちろん、そうした同質的な集団になっても上下の関係やいじめは起こるのだが、中学校時代虚勢を張ったりびくびくして過ごしていた子どもが、より自然に当たり前に自分を表現することができるようになり笑顔を取り戻していく様子を見ると、自分が安心できる居場所としての同質・同種的な集団はとても大切なように思われる。

それはろう者の方たちもそうだろうな。
手話という独自のコミュニケーションでつながる方たち。同じような体験をしてきておられるだろうし、わかりあえるというところでは断然の強いつながりを持ちやすいのではないか。

理念・理想として大切なことを現実に即してどう進めていくのか、そういうことをこの講習会が考える契機になっている。


・・・・・・


この手話講習会もあと2ヶ月ほどになった。
まだ初歩の初歩を学んでいるというところだろうから、これからより手話技術を磨くためには中級講習会や手話サークルの参加と言うことも考えなければならないだろう。

ま、それはそれとして、一緒に参加している受講者の方たちはとてもいい方、いい味わいをもっていらっしゃる方たちばかりで会の雰囲気もとても良い。そうした雰囲気を楽しみながら、ちょっとでも手話表現がうまくなればいいな、そんな感じで参加させてもらっている。

02:33:00 | written by: johnny | | 記事分類: PWDs

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