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おすすめサイト | 協力隊に出願するまで | 合格までのながれ | 駒ヶ根に出発するまでの準備
おすすめサイト(2009年02月06日)
協力隊について、関心のある方、応募を考えていらっしゃる方は必ずアクセスされることと思います。
http://dir.yahoo.co.jp/Society_and_Culture….
Yahooに登録されたこれまでの隊員さんのホームページのリンク集です。
Yahooは審査登録になっていますので、どのリンク先のホームページからも何かしら情報が得られると思います。
協力隊員有志で組織したネットワークサイト。協力隊員のHPを紹介しているほか低額でWEBスペースのレンタルも行っています。
2006年12月に運用開始された協力隊員有志によるネットワークサイトです。
協力隊事務局長をされた方で、その著作は「協力隊三部作」の一つとされて訓練所や在外事務所などに置かれています。
私が訓練に参加した頃にくらべて訓練日数も大幅に減り、こうした書籍の紹介もあまりされないのではと思いますが、活動中などにふと「ボランティアって?」ということを考え始めたとしたらひとつの示唆を与えてくれる一書だと思います。
インターネット上でも内容を読んだりダウンロードすることができます。
私と同期のニカラグア派遣だったj_diarioさんのホームページです。
このコーナーではj_diarioさんの”協力隊試験対策指南”が綴られています。非常に詳しく参考になります。
特に「合格したいけれど、任地の希望を言ってもいいんだろうか・・・」と考えている方に参考となる経験談が綴られていますよ。
協力隊に出願するまで(2009年02月06日)
平成17年度(2005年)春募集より、短期派遣制度・1年派遣制度など新しい制度が始まっています。
詳細を以下の協力隊ウェブサイトからごらんになってください。
青年海外協力隊 http://www.jica.go.jp/activities/jocv/
応募から派遣までのプロセス http://www.jica.go.jp/activities/jocv……
私の協力隊参加当時(2003年~2005年)と現在では諸制度に大きな変更があります。
| 私が参加した当時(2003年) | 現在(2009年) | |
| 試験の 形態・ 内容 |
1次試験:各地の会場に出向いて筆記試験 2次試験:東京広尾訓練所(現JICAひろば)で面接・健康診断 |
1次試験:願書・技術問題解答を郵送(日本語教師はWeb試験有) 2次試験:東京JICAひろばで面接・語学試験・健康診断 |
| 派遣隊次 | 1次隊~3次隊+特次隊(諸事情で別日程派遣になる場合) | 1次隊~4次隊(2008年度)1~3次隊(2009年度) |
| 訓練日数 | 79日 | 65日(将来は60日の方向ともお聞きします) |
| 訓練内容 | 語学訓練・講話・野外活動訓練・所外活動訓練 | 語学訓練・講話・所外活動訓練など 訓練日数短縮にともない、野外活動訓練はなくなりました。 現在はシニア海外ボランティア・協力隊の合同訓練になっています。 |
以上のことをご理解いただいてお読み進みください。
制度はこれからも変わるでしょうが、ひとりひとりの参加までの思いや過程は制度の違いに関係なくご参考いただけるものと思います。
わたしが協力隊に出願するまで
わたしが協力隊に行こうと思ったのは1998年9月頃のことです。
参考:駒ヶ根メモ:なぜ協力隊を目指したのか(2003年03月27日)
http://www.ktc-johnny.com/komaganememo.html#jica
↑の文は、駒ヶ根訓練所に入所する20日ほど前に、それまで住んでいた函館で書いたものです。
協力隊に行きたいと思った内面の動機について記しています。
1998年夏、私は中学校を依願退職して牧場で働き始めていました。
そこで自分を見つめ直し、自分なりの結論として出したのが
でした。
そう思い立ってから、JICA札幌に行って募集要項を手に入れ、参加できそうな要請を探しました。
募集要項(紙ベース)は春・秋募集に合わせて作成されています。お近くのJICAや募集説明会で手に入れることができます。
ウェブ上では常に新しい情報が公開されていて、国別や職種(しごと)別で探すことができます。
青年海外協力隊の要請・職種をみる
http://www.jica.go.jp/activities/jocv/job_info…..

↑はウェブで公開されていた「養護(障害児教育)」の要請のひとつです。どの国の、どこの街の、どんな仕事かということが書かれています。
派遣希望隊次ですが、21/1は平成21年度1次隊(春訓練:夏派遣)、21/2なら21年度2次隊・・・ということです。
私の場合は「養護(障害児教育)」の仕事ができそうに思えました。
その当時の募集要項「養護」の要請内容の多くで共通していたことは 養護学校教員免許 実務経験(2,3年) でした。
(最近の「養護」の要請では免許を必須にしていない案件も増えましたが、実務経験は必須がほとんどです。)
で、1998年9月当時の私の持っていた免許や経験は、
でした。
「養護」の職種で合格を目指すには、まずは経験を積むこと。
でも、養護学校の教員免許があるとさらに有利かも知れない。そう牧場で働きながら思っていました。
それで養護学校の教員免許を取るにはどうしたらいいか、本屋で探して見つけたのがこの本でした。

ライセンス・ライブラリー45 なりたい!!養護学校教諭(DAI-X出版)
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%AA%E3….
1998年当時はインターネットもあったけど、まだまだ本がメジャーな情報源でした。
この本を読んでみると、どういう風にすれば養護学校教員免許がとれるのかがよく分かりました。
で、いろいろ検討してみて、北海道教育大学の札幌校・旭川校で開設していることを知り、出願することを決めました。
註 : 特別支援教育特別専攻科というコースでしたが、2008年春から募集が停止になりました→教職大学院に移行する流れのようです。
当時は、東藻琴村(網走のとなり、現在は大空町)の牧場で働いていましたから、3ヶ月ほど休まず働いて数日分の休みを貯めて、翌年(1999年)2月初旬に札幌まで試験を受けに行きました。
この特別専攻科は1年で修了できるコースですが、いろいろあってもう半年かけ、1年半で所定の単位を取得し、養護学校教員免許を取得しました。
気にかかっていた学費・生活費は、日本育英会の奨学金やアルバイトなどでなんとかやりくりできました。
でも、とってもお金に困ったことがあり、そのときはかつての同僚O先生が快く融通してくれました。O先生には今も感謝しています。
そして次が経験を積むことでした。
2000年9月:教育大特別専攻科を修了できましたが、しばらくは空きがなく、アルバイトをしたりヘルパー3級の講習に通っていました。
そうしているうちに、教育大の先生から養護学校の仕事を紹介していただくことができました。
近隣の市の病院に出向いて指導する訪問教育の仕事をさせていただく。中学男子・小学男子を担当)
この養護学校の任期が終わりに近づいた頃、「次は肢体不自由児の教育の経験を積みたい」と思いました。
そのことを校長先生に相談すると次の養護学校の仕事を紹介していただきました。
この養護学校は肢体不自由児教育をしているところで、ここで働きはじめて、「よし、そろそろ協力隊を受けてもいいな」と思いました。
合格までのながれ(2009年02月06日)
分厚い冊子が渡されました。中には全職種の問題が載せられていて、出願時と違う職種に切り替えて受験することができました。
ex: 「養護」で出願→「青少年活動」で受験も当時は可能でした。
現行(2009年)の制度では、職種変更ではなく、出願時に希望の要請を3つあげることができるようになっています。
その他、語学(中学卒業レベルくらい・・ヒアリングあり)とクレペリンのようなテストがありました。
(語学試験は現行制度では2次試験です)
10時ごろから15時すぎまでと結構長丁場だったことを覚えています。
そのときの函館会場には8人分の座席が用意されていたが、受験していたのは4人でした。
東京までの往復飛行機代と宿泊費は、後日(9月になったと思ったが)JICAから銀行振り込みで支給されました。
僕は、職場で試験のことを公表していなかったので、夏季休暇ということにして休みをとって東京へ行きました。
前日は、恵比寿のホテルで前泊して、当日は9時に広尾の会場に着きました。
ざっと200人ほどの受験者が講堂に集められる。職種ごとに固まってテーブルにつく。ここに現職参加の先生もいて、待機中話をする。
参考:2002年春募集・2次試験の面接
面接は2種類。
技術面接:15分くらい:おもに「作業学習」について自分の考えを聞かれる。
一般面接:15分くらい:協力隊志望の動機などを聞かれる。
その他に、内科検診・歯科検診・協力隊ジャケット(訓練所で着用します)のサイズ合わせ・参加形態(現職参加か退職参加か)の確認などで朝から夕方までかかっていました。私は北海道から参加していましたが、遠方から参加した人については帰りの飛行機に間に合うようにという配慮で面接時間も早い時間帯に設定してもらっていました。
いろいろな書類がどっさりと届くのかと思いましたが、このときは合格通知と要請内容の写しが入っていたのみ。
薄い通知書だったので、不合格だったんだ・・・・と半分あきらめの気持ちで封を切ったら、合格だったのでびっくりしたことを思い出します。
通知書には、
派遣予定先:パキスタン・イスラマバードの施設であること
派遣隊次:平成15年1次隊(2003年4月訓練開始~7月派遣予定)
が書かれていて、さらに、
「参加同意書」「辞退届」のどちらかを、期日(2002年8月下旬)までに返送してくださいとありました。
私は大阪の実家の両親に合格したことを伝え、参加してもいいとのOKをもらって(というかあきれられたのかもしれませんが)、参加同意書に自署して返送しました。
2次試験で席が隣だった先生(女性)もこのとき一緒に合格できましたが、彼女は連日家族会議を開いてそれでやっとOKをもらえたとのこと。
自分の思っていた国・地域・要請先ではなかった・・・・・。そういうことはよくあることと思います。
また、自分は行きたいけれど、その国が日本では大変危険な国だと思われていて、家族や知人から猛反対されるということもあるかと思います。
大変悩まれることが多い場面だと思いますが、決断に迷うときは参加時期をずらしてもらうということも可能なことがありますから、ぜひ協力隊担当者にご相談されてみてください。
語学(ウルドゥ語)の事前学習資料(A4・20ページぐらいの冊子+カセットテープ)やJICAのパンフレット、駒ヶ根訓練所の案内。
現在は訓練開始6週間前に諸書類が送付されるようになっていて、それらの資料はウェブからダウンロードできるようになっています。
http://www.jica.go.jp/activities/jocv/applicati…….
高等部・修学旅行(10月:ディズニーランド・お台場)の準備で忙しく、語学の課題に全く手をつけませんでした。
私は翌年春からの訓練参加(2003年4月~)だったので合格から訓練開始まで半年以上の余裕がありました。
駅前留学して、英語のスキルをUPさせようかと思いたったが、学校の仕事の忙しさに負けて果たせませんでした。
・・・とか言って、今から思えばただいつもの怠け癖がでただけですよねぇ(笑)。
でもね、「ぜったいにだいじょうぶ!」だと断言します。
語学ができると、確かに訓練中は楽しいですよ(笑)。いちばんのストレスのタネがありません。
そういう素敵な力をすでにお持ちの方は、自然に恵まれた良い環境の中で65日間リフレッシュできる機会だと思って存分に楽しんでください。
多くの人はウーンウーンと語学に悪戦苦闘するかも知れません。
ましてや、私が習ったウルドゥ語のようにアジア言語と来たら・・・・・もう・・・・(涙)。
でも、でも、でも。
訓練所で苦労し、現地でも満足に話せない時期が続いたとしても、2年経って帰国するときはそこそこストレスなく話せている自分がいます。
言葉で苦労するかも知れないけれど、それ以上の思っても見なかった経験を肌身に感じることと思います。
ことばがうまく話せなくたって、馬鹿にせず親切に接してくれる現地の人はたくさんいると思います。
そういうひとたちのあたたかさに囲まれて暮らせる幸せを感じたりすることがあるでしょう。
もうこの頃はインターネットも使い勝手がずいぶんとよくなって、検索でいろいろな情報がヒットするようになっていましたね。
それでパキスタンにすでに派遣されていた協力隊の先輩のウェブをいくつか見つけて、メールで質問をしたりしていました。
パキスタン派遣が決まった方からこれまで多くのメールをいただきましたが、「パキスタンに行っても大丈夫でしょうか?」という不安を持たれていた方がとても多いことを感じています。
パキスタンに限らず、特に初めて海外に行かれる方などはその派遣国のことを不安に思われることがあるかも知れませんね。
合格が決まって、不安な気持ちをお持ちになっている方は、その国へ行った&活動中の隊員とコンタクトをとってみていろいろお聞きになってみてはいかがでしょうか。
私はメールでやりとりができただけで、ずいぶんと不安に思う気持ちが軽くなっていく経験をしましたよ。
また、学校の行事ビデオを編集して、DVテープに落とすなど自分用データベースづくりも、ひまをみて行っていました。
入所の日程やらの、具体的な内容が説明されていました。このあたりから、ぼちぼち、駒ヶ根出発に向けた準備に入りました。
参考:取得に手間のかかりそうな証明書類の取得
函館から大阪の実家への引っ越しや、お世話になった方へ近況報告やらあいさつなど。
ジオシティーズにスペースを借りて http://www.ktc-johnny.com/ を立ち上げたりなんかをしていました。
駒ヶ根出発前(2003年4月)にサービスが始まったばかりの「FreeD」(ドコモPHS定額)の契約をしました。
(FreeDはNTTが2008年1月にPHSサービスとともに終了しました。)
ホームページの更新は就寝時間の11時以降ということが結構ありました。
その際PHS接続でネットにつなぎアップロードしていたものです。
参考:イーモバイル:サービスエリアサーチ
http://emobile.jp/area/areamap.html?4
私は一時期ネット接続にイーモバイルを使っていました。
2009年1月に駒ヶ根訓練所すぐ下の赤穂の農家さんに泊めていただいたときに、イーモバイル接続で自分のPCからメール送信やネット閲覧をしていました。
初版 2003年3月30日 最終更新日 2010年01月22日
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