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帰国報告会レジメ(協力隊活動終了)
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JICAパキスタン事務所で開かれた帰国報告会時(2005年07月上旬)に使用したレジメを一部手直ししたものです。
画像が多くファイルサイズ(290KB)が大きくなっております。ご了承ください。
帰国報告 平成15年度1次隊(パキスタン派遣:養護) 土佐光章
活動先: 国立障害者職業訓練センター(National
Training Center for Special Persons = NTCSP、イスラマバード)<
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旧校舎(2005年6月まで) 新校舎(2005年7月から)
■ 1986年の設立、2005年独自の校舎竣工
■ 協力隊の配置
Tさん(7年度1次隊:家政)・Nさん(7年度1次隊:竹工芸) → Oさん(10年度1次隊:竹工芸) → Kさん(14年度3次隊:木工) → 土佐(私)(15年度1次隊:養護)
→ Kさん(15年度2次隊:コンピュータ技術) → Mさん(16年度3次隊:皮革工芸)
<要請内容と現実のずれと克服>
■ 要請理由: 技術講師にたいして、障害を持つ生徒への指導の仕方、カリキュラムへの助言、父兄への指導を行うことで、より効果的な訓練が可能であると考えられ、隊員要請となった。
→ 障害のある子どもたちへの関わり方 繰り返しの指導を続ける「忍耐」と 失敗を繰り返す子どもへの「寛容」 → 人を育てる上での鉄則
→ この国の人たちにとっても難しい課題だった>「忍耐」と「寛容」 (自分とは血のつながりのない人たちに(ビラーダリー外の人たちに))
■ 期待される業務内容について
・技術講師および、センタースタッフに対し、生徒の指導の仕方およびカリキュラムへの助言を行う。 → カリキュラムがない・先生が恣意的に行っている。
・父兄への相談指導、カウンセリング、助言およびPTAとの連携 → PTAとの信頼関係が崩壊(会費の使い込み→作業のための補助金が出ない)
・同僚講師とともに、年中行事の企画を行う。 → これはできそう。
・教材・教具の整備、アイディア、発想の支援 → これもできそう。
・職業訓練後の社会復帰への助言も期待されている。 → むちゃくちゃ難しい。学校は公務員の障害者枠などごく限られた就職のあっせんをするのみ。
で、そうした事情から、私の活動先でのミッションは次の 2つ+α にしぼられていきました。
1 知的障害のある子どもたちのクラス(Art&Craft)で担任をすること。
2 学校の諸活動を写真に記録し、そのプリントやCDを学校に提供すること。
α レクリエーション・スポーツ活動でのマンパワーとしてのお手伝い。
1 知的障害のある子どもたちのクラス(Art&Craft)で担任をすること。

←クラスの子どもたちです。
2003年10月 5名 → 2004年6月 14名 → 2005年6月 17名 担任 私、S先生(女性45歳)、Sさん(アテンダント:クラスの雑用をこなす職員です。)
学校としては・・・・技術の習得が難しいこうした子どもたちの扱いに苦慮している。(デイケアセンターを志向していないが、実態はデイケアセンター化)
私としては・・・・日本で経験して感じてきた通りのスタイルで(一日一日を楽しかったと子どもが思えるようなかかわりを、愛情を持って!)
【環境整備】


↑は、生徒の手作りによる(ちぎり絵の手法で) 時間がかかりましたがよいものができたと思います。
・生徒の活動が見えてくるような掲示物(作品・作業の様子を記録した写真)を多く貼るように気をつけていました。
・カリキュラム(シラバス)を使っていない実態・・・テキストよりもこうした掲示物のほうがこちらのスタッフにとっては有用だろうと考えました。
6月〜7月にかけて → 新校舎に移転後、現地スタッフたちだけできれいにデコレーションをしていました。


【作業種を増やすことに力を入れたこともありましたが】
ちぎりえ・折り紙・園芸・室内レクリエーション(体操・風船バレー)・造花づくり・アイスクリームのふたを使った筆入れづくり・・・・・
【結局、毛糸を使ったマットづくりを丁寧に指導する・・・一日の活動のメインに】
★ モノをつくったという達成感を味わいやすい。
★ 現地スタッフがこれまでも取り組んでおり、今後も継続して行える作業種である。
★ 担当するすべての子どもに教育の機会を保障する。

毎日10〜15人の生徒に順番に作業を繰り返し繰り返し教えていきました。
必要な材料は(学校から予算がもらえなかったので)現地生活費から出してでも買い揃えて用意しました → クラス活動の活発化

←きれいにパッキングして展示することも心がけました。
←2005年5月の作業の様子です。
2 学校の諸活動を写真に記録し、そのプリントやCDを学校に提供すること。
α レクリエーション・スポーツ活動でのマンパワーとしてのお手伝い。
いろいろな会合に参加させていただけるチャンスがひろがった。 → 新たな人脈の開拓
■ パキスタンの障害当事者の方たちとの出会いと結びつき
休暇を利用してパキスタン各地の障害当事者NGO、学校の見学を行ってきた。
←2004年7月
なかでも、ラホールの障害当事者団体「マイルストーン」の方とはいいお付き合いをずっと続けてきた。
彼らを通じて、パキスタン・日本・タイの障害当事者の方との出会いがひろがった。

STEP(イスラマバードの障害当事者NGO) KADO(フンザ流域のNGO)
←パキスタン・スペシャルの編集長さん(中)と
・・・といろいろああでもないこうでもないという2年間を過ごしてきました。
学校の先生(公務員)のやる気の低さに怒ることもしばしばでしたが、こういう学校外での出会いをさせてもらえたことでいい刺激を見つけることが出来、フラストレーションはだいぶ抑えることができたのではないかと思います。
でも離任のあいさつのときですが・・・・・・

障害児教育でもっとも大切なことは子どもたちの変化を見逃さない繊細な感性と、失敗を繰り返す子どもたちを温かく見守る寛容性だと思います。
その意味では教師のトレーニングがとても重要になってきますが、その部分での先生方の変化はほとんど見られませんでした。
しかしながら、それであきらめず、地道に与えられたクラス担任の仕事をこなし、写真撮影など本来の要請内容にはいってはいないけれど必要とされる仕事に取り組むことができたことは、何らかのお役に立ててよかったなぁと思っています。
離任のあいさつを八木調整員さんとご一緒に校長先生・副校長先生のところで行ったときも、校長先生は「Great Man」だと誉めてくださいました。
この2年を振り返ると、調子を崩して学校を休むこともたびたびあったし、あまりに働かない先生たちにどやしつけたりしたこともあったのですが、そんなことにも関わらず「彼はGreatだ」と評価してくださるのは、実に協力隊員冥利につきることだなぁとうれしい気持ちでした。
途中では形や行く末の見えない活動でもこうして終わりの時に温かい言葉をかけていただけると、何がしかのお役に立てたのだとすべてが無駄ではなかったんだと思えるようになるのは不思議な感覚でした。
【私の未来計画】 (2006年02月16日追加訂正) → 自己紹介をご参照ください。
・ここ4〜5年、パキスタンを中心とした障害者支援の仕事をJICAや協力隊を育てる会が行っている「帰国隊員支援プロジェクト」などを利用して取り組む。
→ある資格の取得のためにしばらく日本で仕事・勉強をすると思います。その流れでまたパキスタンやいづこかの国から風が来たら・・・・考えるかも知れません。
・今年は9月〜12月まで、パキスタン・インド・バングラデシュをじっくり見て回る。
→2005年09月から11月終わりまでと、2006年01月下旬から10日ほど、パキスタン・インドを訪れました。2005年10月08日に発生した地震の救援活動など思いもかけない出来事に遭遇しながらでしたが、多くの方々と出会わせていただくことができました。
・10年〜15年以内を目処に北海道でペンション経営
→これは、商才やプロ接客のできなさそうな私には不可能だと悟りました(笑)。でも、北海道を終の棲家にしたいなぁという気持ちは変わりません。で、同期さんをはじめみんなに気軽に遊びに来てもらえるような、泊まっていってもらえるような部屋というか離れというかコテージは欲しいです。
みなさん、ありがとうございました。(以上)
←帰国報告会時に使用した自作のイラストです。おはずかしいですが(笑)。
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初版 2005年07月08日 最終更新日 2006年02月17日