http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htm
2008年10月08日(水)追記
> 被災地の北西辺境州では、全半壊した小学校2348校のうち
> 半数以上が再建のメドさえ立たず、4度目の厳しい冬を前に、
> 子供たち約35万人が仮設テントで学び続けている。
> アフガニスタンの旧支配勢力タリバンのパキスタン側への勢力浸透を背景に、
> 国際的な援助機関がテロの標的となり、
> 事務所の閉鎖や事業の中断が相次いでいるためだ。
> 復興活動は治安悪化の中で先細りの危機にある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081006-00000001-mai-int
と現在の政情や治安の悪化が復興活動を大きく妨げていることを報道している。
地震から3年が経つ。
2005年10月パキスタン大地震の記録(被災地地図・動画など)
/2005earthquake.html
無我夢中で関わった数ヶ月。
そのひとつひとつのことがいまも鮮明に思い起こされる。
この経験を大切なくさびのひとつとして善く生きたい、そう思う。
お亡くなりになられた方々に哀悼の気持ちを
すべての被災者の方々にお見舞いの気持ちを捧げます。
2007年10月08日追記
地震からはや2年。
日一日と過ぎるごとに、時の流れのはやさを感じます。
いま、私は日本で仕事をしながら暮らしていますが、折に触れて2年前のあの日のこと、それからの日々のことを思い出します。
あの数ヶ月は本当にいろいろなことがあった。
大きなターニングポイントになった時期だったといま思いを強くします。
お亡くなりになった方々に哀悼の気持ちを、
大きな怪我を負われ、2度の厳しい冬を乗り越えてこれから3度目の冬を迎えようとする被災者のみなさんにお見舞いの気持ちを捧げる一日にしたいと思います。
2006年10月08日(日)追記
昨年(2005年)の10月8日のその時(パキスタン時間午前9時前:日本時間午後1時前)、私はインドのニューデリーのネットカフェにいました。
ニューデリーも多少は揺れたようでしたが、まったく気づかず、それから1時間ほどしてネットで地震の速報が出て初めて気づきました。
そのときは首都のイスラマバードで揺れがあったことを報じていましたが、激震に見舞われたカシミールやバラコットのことは全く伝わっていませんでした。
その後、ニューデリーからイスラマバードの隊員さんに携帯電話が奇跡的につながりお話しできたときも、まだマルガラタワーの崩壊は伝わっておらず、「大勢の人がおもてに飛び出しているけれど、建物は壊れていないみたい」という隊員さんのお話に安堵したのを覚えています。
それが・・・・・・。
ネットで伝わる事態の深刻さに居ても立ってもいられず、予約していたネパール行きのチケットをキャンセルし、デリーのパキスタン大使館でビザを取り直して、陸路パキスタンに戻ったのでした。
地震から2度目の冬をテントで過ごさなくてはならない人々が大勢いる現況は、復興への道のりがまだまだ遠いものであることを感じさせずにはいられません。
いまもなお活動を続けられている方々に敬意を表すとともに、亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げさせていただきます。 合掌
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きむかつさんのおっしゃること、わたしもまったく同感です。
今の職場では、子どもたちと楽しく関わらせていただいています。良い仕事だなぁ~学校の先生って、って。
そんな幸せをパキスタンやインドや恵まれない国の子どもたちにも味わってほしい・・・そういう思いが消えたことは今までありません。
時間が経つのが早く感じる歳に私はなってきているのだと思いますが、いま動ける・頭を使えるこの歳にできることを考えていきたいと思います。
廃墟と化したバラコットを見たときの衝撃は今も忘れません。
あれからもう1年…早いものです。これを今の自分に何ができるのか改めて考える機会にしようと思ってます。