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	<title>www.ktc-johnny.com &#187; Thinking</title>
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		<title>2009年12月 : イスラマバード訪問記（序）</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Feb 2010 08:15:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[in PAKISTAN]]></category>
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		<description><![CDATA[イスラマ訪問記　序 &#124; その1 &#124; その2 &#124; その3 &#124; その4 &#124; その5 &#124; その6 &#124; その7 &#124; その8

イスラマに行けて良かった！
！も入れれば13文字。今回のイスラマバード滞在を振り返るとこの13文字に尽 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>イスラマ訪問記　序 | <a href="/islamabad2009-01.html">その1</a> | <a href="/islamabad2009-02.html">その2</a> | <a href="/islamabad2009-03.html">その3</a> | <a href="/islamabad2009-04.html">その4</a> | その5 | その6 | その7 | その8</p>
<hr />
<b>イスラマに行けて良かった！</b></p>
<p>！も入れれば13文字。今回のイスラマバード滞在を振り返るとこの13文字に尽きる。<br />
きっと、この13文字の何百倍分もダラダラ書き連ねていくと思うけれども。</p>
<p><span id="more-250"></span><br />
2006年2月にパキスタンから帰ってきて、札幌で暮らすようになってからは、<a href="/2008-04-03-woodworks1.html">いただいた木工実習の仕事に没頭する毎日だったから、</a>自然とパキスタンへの意識が薄れていった。<br />
とはいえ、春秋の協力隊募集説明会や授業で協力隊のことを話す機会をいただくことがあったから、そうしたときはパキスタンでの日々を懐かしく思い出しつつ、自分の活動を思い返してはあーすればよかったんじゃないか、などと反省したりしていた。<br />
学校の仕事に没頭していた2008年夏、<a href="/2008-09-24-peshawarkai.html">ペシャワール会の日本人ワーカーさんの拉致・殺害事件</a>、それに続いてイスラマバードのマリオットホテルでの自爆テロが起きた。<br />
自分が住み、訪れたことのある場所での出来事。少しばかり実地に経験させてもらったことだからいろいろなことがリアルにイメージできた。<br />
そして、昨年、<a href="/2009-06-09-jocvquit.html">パキスタンでの協力隊事業は見合わせとなり、協力隊・シニアボランティアさんは日本に引き揚げ・他国に振り替え</a>となった。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;</p>
<p>「腹がたって、&#8221;パキスタンなんか消えてなくなれ！&#8221;って思ったことがある」<br />
ある派遣隊員OVが昔話の中で話していたフレーズ。これほどまでではなくても、パキスタンにネガティブなイメージを少しでも抱いた隊員は多いと思う。<br />
合わない食事（やっぱりカレー、カレーじゃね）、日本的な、ほどよい人付き合いの距離よりもグイグイ入り込んでくる厚かましさというか親しさ、女性隊員がしょっちゅう遭う痴漢、街中に出れば痛いほど感じる注目・好奇の眼、ちょっと仲良くなれば「どうやったら日本に行けるんだ、俺を日本に連れて行ってくれ」という猛アタック、女性に対してなら「俺とつきあってくれ、結婚してくれ」という猛アピール・・・etc</p>
<p>現地語（ウルドゥー語）でのコミュニケーションがうまくいかず、活動が行き詰まったり中だるみになると、自然とパキスタンへの悪口や不平が口をついてでてきがちだ。活動先での仕事が終わって家に引きこもってDVDやネットをするか、気のおけない同士で集まってうさを晴らしたり。<br />
かくいう私も相当毒を吐いていたはずだ。<br />
言葉で吐かなくても、タクシーの値段交渉でドライバーとけんか腰になったり、引きこもりもしたし。</p>
<p>でも、不思議なんだ。<br />
「パキスタンなんか消えてなくなれ！」って思ったという、かのOV。立派な活動をやりきって帰国したし、帰国してからだって毎年パキスタンに遊びに行っていた。<br />
そういう例は数え切れない。それってとてもよく分かる。<br />
2005年のパキスタン地震の際、数多くのOVが救援・復興活動をしにパキスタンに帰ってきた。<br />
それもとてもよく分かる。<br />
私もネパール行きをキャンセルし、デリーからパキスタンに引き返してきたもの。<br />
初めからずっと好きなままでいられた隊員さんはもちろん、毒を吐けば吐くほど、悪態をつけばつくほど、引きこもれば引きこもる隊員さんほど、なぜか忘れられない、また行きたくなる、なんとかしてやりたくなる、そういう中毒にかかるのがパキスタンの奥深いところ。<br />
その魅力は何だろう、これまでもいろいろな記事で書いてきたが、いまだに分かったような、分かっていないような気がする。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;</p>
<p>任国の良さもダメダメなところも2年間たっぷりと味わえる協力隊はその国のサポーターになりうる存在だとも、自分が任国に帰った時の居場所みたいなものだと思う。<br />
だから派遣の見合わせ、現役隊員の引き揚げはやむを得ないけれどとても残念だった。<br />
活動先の同僚たちは、友人たちはどうしているだろう、そういうことが気にかかっていたし、きな臭さが一層増すパキスタンのことを自分の目で確かめてみたいという気持ちが高まった。</p>
<p>2009年9月下旬出発で計画し、パキスタンビザ・飛行機チケットも取ったが、諸般の事情で延期し、11月末からの2週間の予定でイスラマバード・ラホールを訪れることにした。</p>
<hr />
<b>安いチケットを探し回る。</b></p>
<p>イスラマバードへ行くには<br />
１：　成田→北京経由→イスラマバード　の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%88%AA%E7%A9%BA" target="_blank">PIA（パキスタン国際航空）</a><br />
２：　関西・成田→バンコク経由→ラホール・イスラマバード　の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%88%AA%E7%A9%BA" target="_blank">TG（タイ国際航空）</a><br />
が主要なルートになる。</p>
<p>今回は、<br />
<a href="http://www.ana.co.jp/int/fare/promotion/super_eco/index.html" target="_blank">日本-バンコク往復：ANA（全日空）のスーパーエコ割</a><br />
<a href="http://www.mp-tour.com/" target="_blank">バンコク-イスラマバード：バンコク発券のTG・Lovingキャンペーン</a><br />
という格安なチケットを利用する。</p>
<p>日本からの通しで買うと、燃油サーチャージを入れて最安往復120,000JPY台になるが、</p>
<p>スーパー早割：40,000JPY＋3,960JPY（サーチャージ代）　　＝　43,960JPY<br />
TG Loving　：46,565JPY（16750BHT）＋1,395JPY（手数料）＝　47,960JPY</p>
<p>TOTAL 90,920JPY となり、割合安く求めることができた。<br />
ただ、フライトの都合上、バンコクで2泊することになったので、楽天トラベルで予約をしておく。</p>
<p>イスラマ訪問記　序 | <a href="/islamabad2009-01.html">その1</a> | <a href="/islamabad2009-02.html">その2</a> | <a href="/islamabad2009-03.html">その3</a> | <a href="/islamabad2009-04.html">その4</a> | その5 | その6 | その7 | その8</p>
<hr />
初版　2010年02月06日　最終更新　2010年02月10日</p>
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		<title>故郷が遠くなる…協力隊撤退。</title>
		<link>http://www.ktc-johnny.com/2009-06-09-jocvquit.html</link>
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		<pubDate>Tue, 09 Jun 2009 01:10:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[JOCV（協力隊）]]></category>
		<category><![CDATA[Information]]></category>
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		<category><![CDATA[Pakistan]]></category>
		<category><![CDATA[Thinking]]></category>

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		<description><![CDATA[月曜日夜からの泊まり介助が明けて家に帰ってきたところ。
昨夜は介助の仕事をしながら、パキスタンのことをあれこれと考えていた。

私が2年住み、活動したイスラマバードの治安の悪化。
マリオットホテルが爆破炎上したニュースは [...]


No related posts.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>月曜日夜からの泊まり介助が明けて家に帰ってきたところ。<br />
昨夜は介助の仕事をしながら、パキスタンのことをあれこれと考えていた。<br />
<span id="more-246"></span><br />
私が2年住み、活動したイスラマバードの治安の悪化。<br />
マリオットホテルが爆破炎上したニュースはとりわけ強烈な印象だった。<br />
それに協力隊活動中はテロとは無縁に思っていたラホールでも、ガダフィスタジアムでの乱射事件やマールロードの警察署襲撃などのニュースを聞き、信じられない思いだった。</p>
<p>2006年2月にパキスタンから帰ってきて丸3年。<br />
この3年で想像以上にパキスタン国内がきな臭くなっていることは、離れた日本にいても感じていた。<br />
でも・・・・。</p>
<p>パキスタンから青年海外協力隊撤退へ…タリバンのテロ頻発で<br />
<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090609-00000060-yom-int">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090609-00000060-yom-int</a><br />
（2009年6月9日07時03分配信）</p>
<p>【イスラマバード＝酒井圭吾】<br />
治安悪化の一途をたどるパキスタンから、国際協力機構（ＪＩＣＡ）が青年海外協力隊とシニア海外ボランティアを近く撤退させることが８日、明らかになった。<br />
イスラム武装勢力タリバンによるテロが頻発し、安全確保が困難になったためだ。<br />
パキスタンでは現在、首都イスラマバードや東部ラホールなどで計２０人が障害者支援や理科の教育などにあたっている。<br />
ただ、国内では国連や民間活動団体（ＮＧＯ）職員の拉致事件も発生しており、活動の危険度が高まっている。<br />
青年海外協力隊とシニアボランティアは、日本の知識や技術を途上国の発展に役立てる制度。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;</p>
<p>パキスタンへの協力隊派遣は1995年から。<br />
これまで15年の間、私たち協力隊員はイスラマバード・ラホールを中心に各地で活動をしてきた。<br />
ペシャワールやアボタバード、マンセラといった北西辺境州(N.W.F.P）でも活動をしてきた時期もある。<br />
印パ緊張や911事件でこれまで2度、日本に一時退避ということはあったが、退避期間は短くすぐに活動を再開してきた。</p>
<p>地元の人と同じようにローカルバスに乗り、市場に出かけて買物をしたり、街角の食堂でミルクティーを飲み、職場の人や街の人と<a href="/urdu-index">現地語（ウルドゥ語）</a>を話して暮らす協力隊の生活は刺激にあふれていた。<br />
現地にいるとそれが普段の出来事のように感じられていたけれど、帰国して振り返るとそれが懐かしさとなってこみあげてくる。<br />
痴漢にあったりぼったくりにあったり嫌な思いをすることや、<br />
ストレスが溜まってパキスタン人と口げんかをしたこともよくあったように思うけれど、<br />
おそらくほとんどのパキスタン派遣隊員はたくさんの想い出と友だちをつくった2年間を過ごしてきたと思う。<br />
自分の第2第3の故郷のようにパキスタンを思っている人は多いと思う。</p>
<p>であるから・・・・<br />
渡航禁止になったわけではないけれど、この協力隊撤退のニュースはわたしとパキスタンをつなぐ糸がひとつ切れてしまうようでとても悲しく残念に思っている。</p>
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<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>映画 : 青い鳥</title>
		<link>http://www.ktc-johnny.com/2008-12-18-aoitori.html</link>
		<comments>http://www.ktc-johnny.com/2008-12-18-aoitori.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 18 Dec 2008 10:58:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[PASTIME（余暇）]]></category>
		<category><![CDATA[Hokkaido]]></category>
		<category><![CDATA[Movie]]></category>
		<category><![CDATA[Thinking]]></category>

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		<description><![CDATA[２００８年１２月１８日（木曜日）追記
きょう、札幌ユナイテッドシネマで「青い鳥」＠２回目を観る。
映画「青い鳥」公式サイト：　http://www.aoitori-movie.com/
１回目観たときのような、細かいとこ [...]


No related posts.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>２００８年１２月１８日（木曜日）追記</p>
<p>きょう、<a href="http://www.unitedcinemas.jp/sapporo/index.html">札幌ユナイテッドシネマ</a>で「青い鳥」＠２回目を観る。</p>
<p>映画「青い鳥」公式サイト：　<a href="http://www.aoitori-movie.com/">http://www.aoitori-movie.com/</a></p>
<p>１回目観たときのような、細かいところでの演出の違和感をきょうは感じなかった。<br />
園部役の本郷奏太だけでなく、井上役の太賀も村内先生が来てからこころを揺さぶられ、ありのままの怒りや葛藤をぶつけながら何かが変わっていきつつある、そう見えるようになった。<br />
原作では温厚さがにじむ村内先生像。<br />
映画では阿部寛が自分の持ち味を生かしながら作り上げている。<br />
「本気で生きるんだ」というメッセージを観ている我々大人たちへ阿部寛の体を借りて村内先生は発している、きょうはそう感じながら観ていた。</p>
<p>村内先生は、教師の仕事を「生徒のそばにいてあげること」ではないかと語る。<br />
そしてそれは、かけがえのない「いのち」のそばにいるということ、そういうことだよな、と思う。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5-%E9%87%8D%E6%9D%BE-%E6%B8%85/dp/4104075078">原作の「青い鳥」</a>を繰り返し読んでいる。<br />
どの短編も読むたびに少しずつ違うこころの部分を針で刺されるような心地になる。<br />
はじめの「ハンカチ」も良かったし、「お守り」も、それに「カッコウの卵」もよかった。どの短編もいいのだ。<br />
何回読んでも心を打たれて涙ぐんでしまう。電車で読むときは気をつけないと。<br />
それぞれの短編に出てくる村内先生に自分を重ねてみようとしたり、言葉に表されていない内面で思うことはなんなのか考えたりする。</p>
<p>この「青い鳥」それに「<a href="http://www.okuribito.jp/">おくりびと</a>」を観てから興味を惹かれて買った「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA-%E8%97%A4%E5%8E%9F-%E6%96%B0%E4%B9%9F/dp/4883204480/ref=pd_sim_b_10">メメント・モリ</a>」の２冊は、これからもずっとずっと自分の傍らに置いておこうと思っている。<br />
<span id="more-237"></span></p>
<hr />
２００８年１２月０３日（水曜日）追記</p>
<p>きょう、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5-%E9%87%8D%E6%9D%BE-%E6%B8%85/dp/4104075078">青い鳥の原作</a>を借りた。</p>
<p>原作は３０ページほどの短編。<br />
映画も原作も語りかけようとすることは同じだと思った。<br />
映画の中でとても印象的だった村内先生の言葉を原作のなかに見つけて読み返す。<br />
映画を観るだけではよくわからなかった、「青い鳥」と題名がつけられた意味。<br />
「青い鳥」には幾重にもこめられた意味があることを知る。</p>
<p>きょうは、仕事帰りに「<a href="http://www.okuribito.jp/">おくりびと</a>」を観た。<br />
<a href="http://www.1101.com/okuribito/index.html">「納棺夫日記」を出発点に本木雅弘が１５年来見聞きし、考え、あたためていたものを映画化したもの。</a><br />
脚本がよく練られていて、キャストがみんなとてもいい仕事をしている。<br />
今年度の有力な賞を多く獲るのを疑わない出来。<br />
言葉で表現されたものを、ここまで映像に描ききれるのか、と深く感動した。</p>
<p>原作を脚本・演出の面で練り上げていくという点では、この「青い鳥」はもうひと練りあるとよかったかな。<br />
でも、村内先生が語る言葉。その重さは原作を読んで改めて感じたから、それをかみしめにもう一度観に行こうと思う。</p>
<hr />
２００８年１２月０１日（月曜日）</p>
<p>昨日（１１月３０日：日曜日）は<a href="http://www.toeic.or.jp/toeic/">TOEIC</a>を受けた。<br />
今年７月に続いて２回目。<br />
２ちゃんねるの英語板 <a href="http://academy6.2ch.net/english/">http://academy6.2ch.net/english/</a><br />
では受けた人たちが答えの情報交換をしているからそれを参考にどれくらいできたかを確認する。<br />
クリスマス前にはスコアがWEBで確認できる。ドキドキする。<br />
これでひと段落。<br />
で。</p>
<p>今日（１２月１日：月曜日）は天気も良く、<br />
道も歩きやすそうだったので、仕事帰りは夏の時のようにドンドン歩く。<br />
１時間半ほど歩いて、<a href="http://www.sapporofactory.jp/">サッポロファクトリー</a> へ。<br />
<a href="http://store.montbell.jp/search/shopinfo/?shop_no=618861">モンベルのショップ</a>でも行ってみようと。<br />
で、着いてから思い出した。今日は１日。映画サービスデーだ！<br />
１０００円で映画で観ることのできるお得な日だ。</p>
<p>早速ファクトリーの中にある<a href="http://www.unitedcinemas.jp/sapporo/index.html">ユナイテッドシネマ</a>に行く。</p>
<p>事前に映画紹介サイトでチェックしてなかったので、入り口の上映スケジュールの中から選んでみる。<br />
「おくりびと」 <a href="http://www.okuribito.jp/">http://www.okuribito.jp/</a><br />
観たいなぁと思っていて観そびれている映画だが、この映画館では今日は上映が終わっていた。残念。</p>
<p>それで他には・・・と見ていると <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AF%9B">阿部寛 </a>の名前が。<br />
先日１１月２９日から公開されたばかりの<br />
「青い鳥」 <a href="http://www.aoitori-movie.com/">http://www.aoitori-movie.com/</a> の主演をしている。</p>
<p>阿部寛に興味を持ったのは昨年から。<br />
職場の同僚の先生に誘っていただいて観たのが、<br />
「自虐の詩」 <a href="http://www.jigyaku.com/index.html">http://www.jigyaku.com/index.html</a> 。<br />
２枚目役もよし３枚目役もよし。その役にまじりっけなしで自然にぶつかっている、そんな印象を受けた。</p>
<p>そして今年。また誘っていただいて、道新ホールであった</p>
<p>「歩いても歩いても」 <a href="http://www.aruitemo.com/index.html">http://www.aruitemo.com/index.html</a></p>
<p>のプレミア上映に出かけた。<br />
そこに<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AF%E6%9E%9D%E8%A3%95%E5%92%8C">是枝裕和監督</a>と主演の阿部寛がゲストで来ていた。<br />
前から５列目くらいのところで観ることができたが、初めて生で見る”阿部ちゃん”って、でけぇーーー！<br />
１９０ｃｍ以上あるらしいけれど、<br />
その背の大きさ以上にその語り口から伝わる彼の謙虚な人柄が大きくどぉーんと伝わってきた。</p>
<p>「歩いても歩いても」はこのプレミアの後に<a href="http://theaterkino.net/">シアターキノ</a>でもう１回観なおした。<br />
原田芳雄、樹木希林、YOU、夏川結衣、寺島進といい役者が揃い、脚本もよく練られていた。<br />
日常のあたりまえの家族の様子を、是枝監督が実にうまい描き直しをして撮った映画だ。<br />
だからどんな内容かよくわからなかったけれど、阿部寛が出演しているというところで「青い鳥」を観ることにしたんだ。</p>
<p>（以下、ストーリー紹介も含んでいます）<br />
映画の舞台は（たぶん東京の）ある中学校。<br />
ここで、いじめにあった生徒が自殺未遂を起こしてニュースや週刊誌で報道される。<br />
その生徒は転校し、担任は休職。<br />
そのかわりの臨時教師として赴任したのが阿部演じる村内先生だ。<br />
２時間弱の映画だが、時間の長さをまったく感じなかった。<br />
いじめという重いテーマの映画だが、いじめを受けた生徒が転校した後からを描いていて、いじめを受けている場面などの深刻なシーンは出てこない。<br />
けんかをするシーン、クラスの中で言い合いをするシーンなどぶつかり合いの場面は出てくるが、<br />
そのあたりもデリケートにジメジメしすぎずに描かれている。</p>
<p>村内先生が学校に着いて見るのが「新生東ヶ丘中」と書かれた看板。<br />
まずここに「いったい何が”新生”」なのか？という暗示がされているようにそう思えた。</p>
<p>原稿用紙５枚以上＆全教師のチェック済みの反省文。</p>
<p>学校の謝罪。</p>
<p>青い鳥BOX（投書箱）運動。</p>
<p>でもそれは上っ面をなでただけの、体裁を整えた形だけのように見えてくる。<br />
大人の社会をそのまま学校に持ち込んだだけ、そういう強烈なメッセージが伝わってくる。<br />
そうした問いかけを監督はしてくれているが、その後の組み立てではもったいないなと思う部分があった。<br />
ひとつはいじめた子たちのこころの変化の描かれ方があっさりしていると感じたこと。<br />
自分たちがいじめていたという罪の自覚をしていくところはよかったが、<br />
「あいつ（いじめられてた生徒）は俺たちよりも何万倍もいいやつたちと友だちになっているだろうなぁ」<br />
と話し合うシーンにリアリティがなくて感情移入ができなかった。<br />
いじめたことの罪の自覚をうながし、そのことを忘れないという責任を教えている映画だが、その場面は回想シーンのようになっているように感じられてどうにも映画のメッセージとうまく混じり合わない心地がした。</p>
<p>それとひとつは、村内先生が最後の授業の場面。<br />
もう一度、自分のために作文（反省文）を書き直すシーン。<br />
強制ではなく生徒が自発的に作文をひとり、またひとりと書いていく。<br />
では、その書いた作文をどうするのか？そのことを忘れないという責任の取り方の先にこんなのがあるよ、というような何か提案やメッセージがあってもよかったように思えた。<br />
いじめられた生徒は、もう過去のことなど忘れたいという気持ちもあるだろうけれど、いじめた生徒がその罪をしっかり自覚したときにそのことをなんらかの形でいじめられた生徒に伝えることも責任の取り方ではないのか？そう思えるからだ。</p>
<p>自分たちで答えを探し、自分の言葉で考える。本気になることの大切さを伝えた映画だから、あともう少しだけ、村内先生が生徒達にどういう手をさしのべるのかが観たかった。</p>
<p>この映画について<br />
みんなそれぞれのつっこみどころはあると思うが、私の場合はこのくらいで。</p>
<p>私はどぉーんと共感する部分がたくさんあった。<br />
村内先生は吃音があり、話すのにつっかえつっかえする。<br />
それと、セリフではまったく語られなかったが、校舎の屋上で村内先生が写真を見つめるシーンがある。<br />
それは以前どこかの学校で勤めていたときのクラス写真だ。<br />
そのなかにひとりカメラに目線を向けずうつむきかげんでいる生徒がいる。<br />
村内先生がこのクラスを担任したときに、この生徒になにかあった、そう暗示させるシーンだ。<br />
村内先生はきっと吃音でいじめられたり、からかわれてきたのだ。<br />
昔、担任したクラスで何か事件があったのだ。<br />
それは、村内先生の中で心の傷になってきたのだ。<br />
私は１０年前に中学校の担任の仕事を投げ出していったん教職を辞めた。<br />
担任した生徒たちにもその親御さんたちにも職場の同僚にも大きな傷をつけた。<br />
同じように自分も傷つけたのだと思う。<br />
その傷をふさぐために協力隊を志してそのためにがむしゃらに年月を過ごしてきた。<br />
弱い自分をたたき直して、強い自分、負けない自分をつくる、そういう勢いだったのだろうと思う。</p>
<p>でも。。。。<br />
それは違うな、と思うようになったのが協力隊から帰ってきたここ１，２年。<br />
その教師をいったん辞めたときと状況は違うけれど同じような失敗を繰り返している自分ていったいなんなんだ。<br />
それをそのときの様子をありのまま正直に思い出して見つめ直すようになっている。<br />
そうしたことは過去のこととして流さず、自分が一度しかない人生のこれからを生きる中でも忘れずに携えていきたいと思っている。</p>
<p>どういかせるのかはまったく分からないけれど。<br />
人生のなかで確かに大切だと思うことは、</p>
<p>自分と向き合うこと。<br />
自分のありのままをよくみつめること。<br />
自分にとって傷になったことも逃げずに見つめて、自分のなかで全きものにすること。</p>
<p>そういうことだと分かってから、</p>
<p>自分が「いろんな経験をしたんだぞ」と思い上がって生きてはいけないということ、<br />
自分が周りの人のおかげで生きていること、</p>
<p>そういうことを強く思うようになっている。<br />
映画チラシの中に村内先生のこんなセリフがあった。</p>
<p>「人は弱いから、強くなろうとする。でも、強くなんて、ならなくていい。頑張るだけでいいんだ。<br />
今より少しでも、人の気持ちを想像するだけでいいんだ。」</p>
<p>この村内先生の振る舞いや考えはピターっと自分とオーバーラップしてとても共感できる。<br />
村内先生は多くを語らない。<br />
語らないけれど、ものすごく繊細で敏感な感性のアンテナを持っていると感じさせる人間像だ。</p>
<p>この感受性は、自分が傷ついたことで、自分が他人を深く傷つけたことを自覚することで、他人が何かに傷ついていることを感じ取ろうと真摯になることで、より確かなものになるのだと思っている。</p>
<p>それと、私がいま思うことに沿うと、</p>
<p>強くはなれないかもしれないけれど、そうした感受性を持った人は何か間違っていると思うことに対して放っておけなくなる。放っておけないことに、信念を持ってぶつかっていこうとする。</p>
<p>それが、原作者が村内先生像にこめた「頑張る」ということではないだろうか。<br />
もし村内先生が吃音ではなく、弁舌さわやかな人だという設定だったら、生徒への伝わり方はどうだっただろう？</p>
<p>この映画の中で村内先生が話す言葉は少ない。<br />
だから話す言葉ひとつひとつに重みを感じるのだが、無言のなかのひとつひとつの振る舞いにも重みがあって、それが生徒にも観客にもぐっと伝わってくるように思う。</p>
<p>Wikipediaで知ったが、原作を書いた重松清は、吃音で苦労したという。<br />
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%9D%BE%E6%B8%85">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%9D%BE%E6%B8%85</a></p>
<p>そうした原作者自身の経験から培ったものを、村内先生のなかにこめているから、心を打つ作品になっているのだと思った。</p>
<p>原作を読みたい！<br />
早速、<a href="http://www.city.sapporo.jp/tosyokan/">札幌市図書館WEB</a>で予約をする。借りたいときに家のパソコンや携帯から簡単に予約できるからとても便利だ。<br />
この物語はフィクションかも知れないけれど、<br />
問いかけてくるもの、伝えたいと思うものは、本物だ。<br />
ストーリーの組み立て、や人物描写など脚本の練り上げ方で注文をつけるところはあるけれど、良い映画を観させてもらったと思っている。</p>
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		<title>パキスタン地震から3年。</title>
		<link>http://www.ktc-johnny.com/pakistan-earthquake.html</link>
		<comments>http://www.ktc-johnny.com/pakistan-earthquake.html#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 07 Oct 2008 22:23:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[in PAKISTAN]]></category>
		<category><![CDATA[Disaster]]></category>
		<category><![CDATA[Pakistan]]></category>
		<category><![CDATA[Thinking]]></category>

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地震救援～復興までいまも継続して取り組まれているNWA（日パ・ウェルフェア・アソシエーシ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<li>パキスタン地震（Wikipedia）　<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%&#8230;</a>
<li>地震救援～復興までいまも継続して取り組まれているNWA（日パ・ウェルフェア・アソシエーション）<br />
<a href="http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htm">http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htm</a><br />
<span id="more-230"></span></p>
<hr />
2008年10月08日（水）追記</p>
<p><a href="http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/pakistan/">Yahooパキスタンニュースのページ</a>には</p>
<p>> 被災地の北西辺境州では、全半壊した小学校２３４８校のうち<br />
> 半数以上が再建のメドさえ立たず、４度目の厳しい冬を前に、<br />
> 子供たち約３５万人が仮設テントで学び続けている。<br />
> アフガニスタンの旧支配勢力タリバンのパキスタン側への勢力浸透を背景に、<br />
> 国際的な援助機関がテロの標的となり、<br />
> 事務所の閉鎖や事業の中断が相次いでいるためだ。<br />
> 復興活動は治安悪化の中で先細りの危機にある。</p>
<p><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081006-00000001-mai-int">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081006-00000001-mai-int</a></p>
<p>と現在の政情や治安の悪化が復興活動を大きく妨げていることを報道している。</p>
<p>地震から3年が経つ。</p>
<li>日パウェルフェアアソシエーションさんのところで救援活動のお手伝いをさせていただいたこと
<li>被災地を目の当たりにしたときの衝撃。
<li>満足に手当を受けていなくて傷がひどく化膿した子ども達の治療
<li>地震後はじめての金曜礼拝。その場で見た人々の一心に祈る姿
<li>ラホールで日本からタイからおいでになったDPI（障害者インターナショナル）の方と話し合い・セミナーを持ったこと
<li>マイルストーンのメンバーと被災地で被災者から聞き取り調査をしてまわったこと
<li>日本で地震救援の報告会をしたこと
<p>2005年10月パキスタン大地震の記録（被災地地図・動画など）<br />
<a href="/2005earthquake.html">http://www.ktc-johnny.com/2005earthquake.html</a></p>
<p>無我夢中で関わった数ヶ月。<br />
そのひとつひとつのことがいまも鮮明に思い起こされる。<br />
この経験を大切なくさびのひとつとして善く生きたい、そう思う。<br />
お亡くなりになられた方々に哀悼の気持ちを<br />
すべての被災者の方々にお見舞いの気持ちを捧げます。</p>
<hr />
2007年10月08日追記</p>
<p>地震からはや2年。<br />
日一日と過ぎるごとに、時の流れのはやさを感じます。<br />
いま、私は日本で仕事をしながら暮らしていますが、折に触れて2年前のあの日のこと、それからの日々のことを思い出します。<br />
あの数ヶ月は本当にいろいろなことがあった。<br />
大きなターニングポイントになった時期だったといま思いを強くします。<br />
お亡くなりになった方々に哀悼の気持ちを、<br />
大きな怪我を負われ、2度の厳しい冬を乗り越えてこれから3度目の冬を迎えようとする被災者のみなさんにお見舞いの気持ちを捧げる一日にしたいと思います。</p>
<hr />
2006年10月08日（日）追記</p>
<p>昨年（2005年）の10月8日のその時（パキスタン時間午前9時前：日本時間午後1時前）、私はインドのニューデリーのネットカフェにいました。<br />
ニューデリーも多少は揺れたようでしたが、まったく気づかず、それから1時間ほどしてネットで地震の速報が出て初めて気づきました。<br />
そのときは首都のイスラマバードで揺れがあったことを報じていましたが、激震に見舞われたカシミールやバラコットのことは全く伝わっていませんでした。<br />
その後、ニューデリーからイスラマバードの隊員さんに携帯電話が奇跡的につながりお話しできたときも、まだマルガラタワーの崩壊は伝わっておらず、「大勢の人がおもてに飛び出しているけれど、建物は壊れていないみたい」という隊員さんのお話に安堵したのを覚えています。<br />
それが・・・・・・。<br />
ネットで伝わる事態の深刻さに居ても立ってもいられず、予約していたネパール行きのチケットをキャンセルし、デリーのパキスタン大使館でビザを取り直して、陸路パキスタンに戻ったのでした。<br />
地震から2度目の冬をテントで過ごさなくてはならない人々が大勢いる現況は、復興への道のりがまだまだ遠いものであることを感じさせずにはいられません。<br />
いまもなお活動を続けられている方々に敬意を表すとともに、亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げさせていただきます。　合掌</p>
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	</item>
		<item>
		<title>アフガニスタン・ペシャワール会職員拉致事件に思うこと。</title>
		<link>http://www.ktc-johnny.com/2008-09-24-peshawarkai.html</link>
		<comments>http://www.ktc-johnny.com/2008-09-24-peshawarkai.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 24 Sep 2008 09:51:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[in PAKISTAN]]></category>
		<category><![CDATA[Afghanistan]]></category>
		<category><![CDATA[Pakistan]]></category>
		<category><![CDATA[Peshawar]]></category>
		<category><![CDATA[Review & Report]]></category>
		<category><![CDATA[Thinking]]></category>

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		<description><![CDATA[>> Peshawar Kai Medical Service : ペシャワール会病院の見学
http://www.ktc-johnny.com/2005-01-16-peshawarkai.html （2005年01月 [...]


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<li><a href='http://www.ktc-johnny.com/2005-03-18-cricketpakindia.html' rel='bookmark' title='Permanent Link: クリケット : パキスタンVSインド戦'>クリケット : パキスタンVSインド戦</a></li>
<li><a href='http://www.ktc-johnny.com/pakistan-earthquake.html' rel='bookmark' title='Permanent Link: パキスタン地震から3年。'>パキスタン地震から3年。</a></li>
</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>>> Peshawar Kai Medical Service : ペシャワール会病院の見学<br />
<a href="/2005-01-16-peshawarkai.html">http://www.ktc-johnny.com/2005-01-16-peshawarkai.html</a> （2005年01月16日）</p>
<p>2008年8月30日（土曜日）初出。<br />
2008年9月5日（金曜日）文章を加筆削除しました。<br />
2008年9月24日（水曜日）追記しました。</p>
<p>週明け。<br />
アフガニスタンから飛び込んできたニュースに釘付けになった。</p>
<p>■アフガン邦人拉致事件：Yahooニュースより<br />
<a href="http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/afghanistan_ngo_case/">http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/afghanistan_ngo_case/</a></p>
<p>2008年8月26日（火曜日）、アフガニスタン東部ジャララバードで活動する非政府組織「ペシャワール会」の日本人ワーカーが、何者かに拉致された。<br />
2008年8月27日（水曜日）、アフガニスタン国内で日本人男性らしい遺体を発見。<br />
2008年8月28日（木曜日）、発見された遺体を拉致された日本人男性と確認。<br />
2008年8月29日（金曜日）、亡くなられた日本人男性を偲ぶお別れの会が現地で行われる。ご遺体が日本に向けて出発。<br />
2008年9月1日（月曜日）、故郷の静岡でご葬儀。</p>
<hr />
ペシャワールという地名は小学生のころから知っていた。<br />
ソ連侵攻後、パキスタンへ逃れてきたアフガニスタン難民のキャンプがペシャワールという街にできたこと。<br />
勉強嫌いだったから大口たたいているだけだったけれど、小学生のころ外交官になって難民とか大変な人たちを助けるんだ、そんなことを思っていたから、難民キャンプの様子がテレビで流れるとじっと見入っていた。<br />
<span id="more-227"></span><br />
そして2003年春。<br />
私は協力隊員としてパキスタンに派遣されることになり、長野・駒ヶ根訓練所に入所した。</p>
<p>そこで初めてペシャワール会の存在を知ったように思う。<br />
語学講義の合間に観たテレビ番組の録画だったか、本で読んだか、任国講座という講義で現地在住だった方から話を聞いたか。<br />
協力隊、JICA、国のODA事業とは一線を画した活動をされていること、私が小さいときから地名だけは知っていたペシャワールでずっと活動されていること、などなど。<br />
現地に行く前だったから、国の事業と一線を画してといってもどう違うのかイメージは掴みにくかった。<br />
ただ、素直にへぇ～一生懸命やっていらっしゃるんだなぁ、そういう印象だった。</p>
<p>駒ヶ根訓練所での79日間の訓練が終わって私がほかの6人の隊員さんとパキスタンに派遣されたのが2003年7月。<br />
現地に着いてからは言葉の壁、異文化での生活、仕事での不慣れ、、、そんなことが一気に押し寄せてきて、あれよあれよと半年1年が過ぎていった。</p>
<p>パキスタンだけでなく、協力隊を派遣するにあたって、その地域で安全に活動できるかどうか、JICAサイドで慎重に判断をしている。<br />
1995年にパキスタンへ協力隊員が派遣されはじめ、ペシャワールにも隊員が赴任したことがあったとお聞きしたが、印パ緊張、911事件、宗派間の衝突などいろいろな不安定要因があってだろう、私たちが赴任した2003年当時、ペシャワールを含む北西辺境州（N.W.F.P）のほとんどの地域では活動が見合わされていた。<br />
そうした事情などいろいろな見地からだろうと思うがパキスタンでの活動地域はイスラマバード・ラホールなど大都市が主であり、国土の半分以上の地域への旅行も制限されていた。<br />
だから、同じ国で活動をしてはいるけれど、ペシャワール会との接点がないまま赴任後1年あまりが過ぎていった。</p>
<p>派遣から1年が経ったころ、日本の友人からNHKでペシャワール会の特集番組があったことを知らされた。<br />
もしかしたら、衛星放送で再放送が見られるかも・・・とJICA事務所に夜遅く行ってのホールにあったテレビの前で今か今かと待ったが、電波状態が悪かったか放送プログラムを見間違えてたかで見ることができなかった。<br />
でも、とてもありがたかったことに、その友人が録画したテープをわざわざパキスタンまで送ってくださった。<br />
しかも、日本とは映像の方式が違うので、パキスタンでの映像方式（PAL）に変換していただいて。</p>
<p>戦乱と干ばつの大地から～医師 中村哲 アフガニスタンの20年：NHK-ETV特集（2004年7月17日放送）<br />
<a href="http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2004/0717.html">http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2004/0717.html</a></p>
<p>番組は、代表の中村哲さんが出演されていて、なぜペシャワール会を立ち上げたのか、そしてこれからどう進んでいくのかを豊富な映像資料をもとに紹介されていった。<br />
自分がいまリアルタイムで活動しているパキスタンで見聞きし暮らしてきたのと同じ風土、顔立ちの人々の話だから、その映像の中に自分をオーバーラップさせやすかった。<br />
医師としての医療活動にとどまらず、井戸掘りと用水路づくりに活動を発展させていく行動力、着眼力には驚くしかなかった。</p>
<p>一般的には、パキスタンのどこに住もうが、<br />
”おっかない、怖い”<br />
イメージがあるのではないだろうか。<br />
確かに、身の回りの用心は日本よりも慎重になるが、それでも当時のイスラマバードはパキスタンの中では平穏なもの。<br />
生活に慣れると夜遅くにバザール（市場）とかへ出かけて帰るってのもよくあったし。<br />
コンビニと自動販売機と公衆トイレがないだけで、生活の苦労はそれほど感じない・・・・そういう風に当時思ったりしていた。<br />
せっかくの異文化での2年間、いろいろなことを知りたいという気持ち。<br />
それと、現地生活に慣れ、マンネリになることを避けようと思っていた気持ち、それがきっとあったのだ。<br />
だから、協力隊では行くことのできない、住むことのできない地域で活動するペシャワール会にとても興味をもったのだと思う。</p>
<p>日本の友人から送っていただいたビデオは、街のビデオ屋でCDに焼き直してもらい、希望する隊員さんに見てもらったりした。<br />
それだけではなく、ぜひペシャワールの本部病院を見たい、そういう気持ちが募っていった。<br />
ペシャワール会の公式サイトを見て、現地訪問の手続きを確認し、ぜひ見学させていただきたい旨を連絡した。<br />
そのころのペシャワールの情勢は比較的落ち着いていたこともあって、ペシャワール会事務局の方からもJICA事務所サイドからも訪問の許可をいただくことができた。<br />
そして日程を調整し、活動中の隊員さんにも声をおかけしてペシャワール会現地病院（PMS）を訪れることができたのは帰国半年前の2005年1月のことだった。</p>
<p>Peshawar Kai Medical Service : ペシャワール会病院の見学（2005年1月16日）<br />
<a href="/2005-01-16-peshawarkai.html">http://www.ktc-johnny.com/2005-01-16-peshawarkai.html</a></p>
<p>熱心に働く日本人職員の方たち、一緒に働くパキスタン・アフガニスタン人スタッフにも熱心に仕事する方がいて、きちんとした組織運営がされている病院だと思った。<br />
その場に中村哲さんはいらっしゃらなかったけれど、その中村さんのパキスタン・アフガニスタンにかける思いがスタッフに伝わっている、そういう志を場の雰囲気の中に感じたように思う。<br />
思いがけず、日本人職員の方々のご好意で、当初予定になかった昼食会を持ってくださり、私たちも質問することができたし、職員の方のお話も食事をいただきながら伺うことができてとても有意義なひとときになったことは今も忘れない。</p>
<p>その後、私はこの病院を訪れることはできなかったけれど、帰国後もペシャワール会のサイトは見させてもらっていて現地報告などは読ませてもらっていた。<br />
パキスタン政府が方針を改めて、アフガニスタン難民を全員帰国させることにし、その援助団体としてペシャワールでの活動を認められていた会が活動拠点をアフガニスタンに移さなければならないかもしれない、、、そうした情勢の変化も気になっていた。</p>
<p>そして、先の事件が起こるほんの数日前。<br />
一緒にペシャワール会病院を訪れた協力隊OBの方が中村哲さんの講演会に参加し、その様子を知らせてくださっていた。<br />
気にはなっていたけれど、日本の生活に忙しくしている中でどこか遠い世界のような気もし始めていた、そんな折りのメールだったから、まず始めに思ったのは「懐かしい」ということだった。</p>
<p>その数日を置かずの悲しい事件。<br />
見聞きし住んだ場所とよく似た大地。<br />
ニュース映像を見ながら、記事を読みながら自分を重ね合わせてみる。<br />
・・・苦労は相当なものだったろう。<br />
40度以上になる酷暑の大地。食事や習慣だって日本とは違うこと多すぎ。<br />
働くといっても現地の人もピンキリ。<br />
異文化の中で暮らせばいろいろな葛藤もストレスも愚癡もいっぱいあったはず。<br />
だからパキスタンから帰国したとき、誰の目も気にすることなく自由に街中を歩ける開放感、生の刺身やお寿司、豚肉、お酒など美味しい食事を食べられる日本っていいなぁと思った。<br />
でも、帰ってきて時間が経つと、うっとうしくさえ思ったかの国の人たちの、おせっかいやきなところや人なつっこいところが、今の日本が人間関係がだんだん希薄になっているように感じられるところと対比して「あれは良かったなぁ」と思い返してみたり。<br />
パキスタンでの2年間、いろんな人の家にお呼ばれし、泊まりに行ったし、結婚式に呼んでいただいたりした。<br />
裕福な家もあれば、慎ましい生活をする大家族の家もあった。<br />
職場の同僚の家もあれば、旅先で仲良くなって泊まらせてもらった家もあった。<br />
男性と女性では生活の仕方、人付き合いの仕方が異なるイスラームの社会ではあったし、中には日本人と付き合うことのメリットを計算しているかな？と感じるケースもあったけれど、いったんうち解けると家に呼ばれるわ、ごはんをいただくわ、他の家に遊びにいったとわかると逆に嫉妬されたりとか、家族同様の人づきあいをしてくれたと思う。</p>
<p>協力隊活動後帰国して10年にもなろうかという先輩隊員のことを忘れない職場の同僚たち、帰国してから何年経っても手紙やメールや電話で仲の良かった人と話をする帰国隊員の話は数限りない。<br />
街角で写真など撮っていると、俺も写真撮ってくれといい、撮り終わるとそれで満足して去っていく見知らぬおじさんたち。子どもたちも写真大好きでみんなわぁっと周りに集まってくる。<br />
写真をプリントしてあげるととても喜んでくれたものだった。</p>
<p>お亡くなりになった日本人ワーカーさんが体験されたこと、彼らに感じたことの幾分かは、私も経験してきていると思う。<br />
そうであるから、<br />
危険であることは承知しているけれども、何とかこの人たちのためになることをしたい<br />
・・・と思われた気持ちは、私の限られた経験の中で考えてみても強く伝わってくるような気がしてならない。<br />
事件が起こって数日。<br />
錯綜し、限られたルートからしか情報は伝わってこないが、その日本人ワーカーさんが拉致されたと聞くや1000人もの現地住民が捜索・追跡を手伝ったということは、現地の人々の信頼の大きかったことを強く感じるニュースだった。</p>
<p>＜アフガン拉致殺害＞慕われた伊藤さん 住民千人が救出作戦<br />
8月29日11時21分配信 毎日新聞<br />
<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080829-00000036-mai-int">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080829-00000036-mai-int</a><br />
お亡くなりになったワーカーさんがアフガニスタンに渡られてから4年8ヶ月が経っていたという。<br />
私がイスラマバードで活動していたころにアフガニスタンに来られ、そして今までずっと活動を続けておられたことになる。<br />
その献身的な活動に敬意をささげ、心からそのご冥福をお祈りします。</p>
<hr />
さて、今回の出来事は、私が暮らし見聞きした場所に関わって起こったことだから、ショックも大きかった。<br />
事件が起こる前は好意的に扱われていたペシャワール会が、この事件を機にバッシングされはじめていることに驚いている。</p>
<p>こうした風潮は、2004年のイラクでの日本人拉致事件以後、日本人の海外危険地域での渡航・活動に対して厳しい論調が目立つようになってからより強くなったように思う。。</p>
<p>イラク日本人人質事件（Wikipedia）<br />
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%&#8230;</a></p>
<p>いまから15年前、カンボジアの平和維持活動に従事していた日本人国連ボランティアが銃撃されて死亡した事件があった。</p>
<p>1993年4月8日：中田厚仁さんがカンボジアで射殺された日（おもいッきりイイ！テレビ）<br />
<a href="http://www.ntv.co.jp/omoii-tv/today/080408.html">http://www.ntv.co.jp/omoii-tv/today/080408.html</a></p>
<p>学生をしていたころだが、大変痛ましい出来事でそれからもしばらくずっと忘れずにいたことを覚えている。<br />
国連ボランティアとNGOワーカー。<br />
働いた場所も、その危険度など実情に違いはあるけれど、その国に対して何かをしたいという志を持って渡っていったことは同じ。<br />
でもそれを受け止める社会の雰囲気は変わってしまったようにも思える。<br />
私が悲しく思うことは、事件に遭った人々を厳しく指弾する意見にそのまま反射的に反応して、徹底的に追い詰めるかのような風潮を感じることだ。<br />
いつの世も変わらないことだと思うが、<br />
いまは正義だ、まっとうだと思われていることが後年正反対の評価を受けることがあるし、<br />
シロがシロとも言い切れないし、限りなくシロに近いクロもあれば、クロに近いクロもあるし、<br />
単純に割り切れない世界。理不尽なこと、不条理なこともたくさんある世界だし、<br />
「毀誉褒貶（きよほうへん）」、自分の人格を出して活動すればするほど、評価の声もバッシングの網もかぶるもんだし。</p>
<p>いつかパキスタン協力隊の先輩とお話をしているときに、昨今のきな臭いパキスタン情勢の話題が出た。<br />
私　：「パキスタンもいろいろな事件があって、支援事業も大変ですよねぇ」、<br />
先輩：「そういうところで右往左往しても始まらない。どんなことになっても支援を続けていくんだってハラでいるよ」<br />
今回の事件を機に、改めて2004年に放映された番組を見直した。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;<br />
インタビューアーのNHKアナウンサーが尋ねる。<br />
アナウンサー：<br />
この20年間、一度も、もう疲れた、嫌になった、あきらめようかな、とそういう考えが浮かんだことははないんですか？<br />
中村哲さん：<br />
いやしょっちゅうありますね。<br />
けど、ま、ここでひきさがっては男がすたる　と、ま、ちょっとこれは語弊がありますが、<br />
やはり、こんなことくらいで日本人がくじけておれるかという気持ちがあるのと、<br />
まぁ自分がいなくなったらこの人たちは困るんじゃないか、と、思ってですね、ま、仕方がないけど、ま、ちょっとがんばるか<br />
ということで月日が流れていったような気がしますね。<br />
わかりやすい筋書きとしてはですね、<br />
中村医師という立派な高潔なヒューマニストがいて、そこで忍耐強く粘り強くがんばってそれに感動した人々がそれに付いてくる、というのが話としてはわかりやすいんですよ。<br />
ところが実態はそういうもんじゃなくて、<br />
もうだめかな、という時に<br />
いやーもうちょっとがんばってみるか、と、<br />
このまま帰って行くのも、自分の恥がどうのこうのじゃなくて、こんなことくらいで日本の男がひきさがっちゃ、世の中つまらないよ、という気持ちと、<br />
それと、残された人が困るんじゃないかという気持ちでですね、<br />
ま、いわばかろうじてつないだ、ということはたくさんありますね。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;<br />
ペシャワール会では、日本人スタッフのアフガニスタン国外退去などの対策をとるとニュースなどで伝えられている。<br />
これ以上の悲劇が出ないようにそうした対策は必要だ。<br />
親よりも先に子どもが死んでいく不幸はない。<br />
しかし、先のインタビューの中で中村さんが話されているように、このままでは放っておけない、そういう切実な気持ちで何度も挫折の危機がありながら続けてこられた活動であると思う。<br />
国連もJICAも入るのが困難な場所で。<br />
その事業は未だ途中。<br />
現地の人を感染症から救う、飢えさせない、生活の基盤を作ろうという願いから始められた井戸掘りだし用水路建設だし農場整備だから、現地の人が望む限りこの事業が成就することを切に願っている。</p>
<p>【2008年9月24日（水曜日）追加】<br />
今日、ペシャワール会から会報の号外が届いていた。<br />
<img src="http://www.ktc-johnny.com/media/2008_01/2008.09.24.peshawar.jpg" width="500" hight="395" alt="会報号外" title="会報号外" /><br />
その中の一部記事は以下のリンクで読むことができます。<br />
追悼：現地ワーカ伊藤和也さん<br />
<a href="http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/tsuitou.html">http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/tsuitou.html</a><br />
現地の人たちの話、ペシャワール会の方の話、どれも胸を打たれるものだった。<br />
そして、お父さんの話を読ませていただいて、亡くなった伊藤和也さんを育てられたご両親・ご家族の懐の大きさを強く感じた。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
以下、<br />
伊藤正之様挨拶より<br />
<a href="http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r-ito1.htm">http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r-ito1.htm</a><br />
からの引用です。<br />
現実に心配していたことが起きてしまいましたが、私たち家族は決して和也をかわいそう、気の毒など思っておりません。小さい時からやさしく他人思いの子で、妹・弟に対してもいつも自分は一番後でいいと言って何でも譲っていました。<br />
（中略）<br />
むしろ今回の事で改めて我が子がこんなにもたくましく成長していることに喜びさえ感じます。<br />
（中略）<br />
和也は新たに別の世界に旅立ちましたが、また大好きなアフガニスタンの地で心暖かな村の人達と一緒になって井戸を掘り、川を造り、作物を育て、子供たちと仲良く話をしていると思います。私たちは決してアフガニスタンを憎んでおりません。恨んでおりません。ほんの一部の人間によりこのようなことになりましたが和也も同じ気持ちだと思います。<br />
（中略）<br />
たまに帰ってまた出掛けるとき、いってらっしゃいと声をかけると、行くんじゃなくてアフガニスタンに帰るといって出ていきました。「アフガニスタンの夜空は星がキレイだよ」と言っていました。和也はアフガニスタンの星になりました。そして我家の大きく輝く星になりました。逢えなくなったことは寂しいですが、和也はアフガニスタンで生きております。<br />
（中略）<br />
今回の事で和也は私たちが無くしていたもの、忘れていたものを教えてくれました。思いやり・人の心の暖かさ・そして急ぐ事無くゆっくりでも少しずつ積み上げていく事の大切さ、道徳の心を。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
いま、次のステップを目指して語学やら何やらと準備をしているところだが、自分の生き方とかどういうこころざしをもっていきたいのか、そんなことを自分に問うていることがよくある。<br />
協力隊から帰ってきてから、自分のうまくいったことよりも失敗したなと思うこと、忘れようとしている苦い思い出を思い返しながら、そこから学べること、優しさ・思いやりを持つこと、自分の使命感を押しつけず・さりとて自分を崩さず・でも相手の立場に身を置いて考えたり相手の考えや生活のペースを大事にできる度量や器を持つこと、そんなことを思う。<br />
このお父さんのお話を読ませてもらって、改めて人にとって大切なものは何かを考えさせてもらっている。</p>
<p>この会報号外が届く前にも、ある報道記事にも私は大変胸を熱くし、やはり人にとって大切なものは何なのかを考えていた。</p>
<p>「瞬間瞬間を迷いなく生きた」伊藤さんの同僚が振り返る<br />
YOMIURI ONLINE（読売新聞：2008年9月1日（月曜日）配信）<br />
<a href="http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080831-OYT1T00731.htm">http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080831-OYT1T00731.htm</a><br />
伊藤ワーカーさんとずっと一緒に働いていらっしゃった同僚ワーカーさんのインタビュー記事。<br />
そのワーカーさんが、<br />
”４年以上にわたる共同生活を振り返り、「大好きな村人のために瞬間瞬間を迷いなく生きたと思う」と語った。”<br />
というくだりにとても強く心を動かされた。<br />
仕事上での悩み、問題はきっと山積みだったに違いない。<br />
それだけではない。日本に居てても十分わかるアフガンの治安悪化、それにペシャワール会を評する様々な声・・・。<br />
そうした波に微動だにしない信念で仕事をされていた姿を、さきのワーカーさんのことばに私は強く感じる。<br />
さきのお父さんの言葉にもあった「私たちは決してアフガニスタンを憎んでおりません。恨んでおりません。」というところ、ご本人もまったく同じ思いにちがいない。</p>
<p>アフガニスタンにとっても日本にとっても世界にとっても、有為な人材を失ってとても悲しく思うが、その生き方、姿勢を学べていることをとてもありがたいことだと思う。<br />
参考：パキスタン略地図<br />
<a href="/pakjourneyindex.html">http://www.ktc-johnny.com/pakjourneyindex.html</a><br />
<image src="/image/a.pakspmap.gif"></p>
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</ol></p>]]></content:encoded>
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		<title>パキスタンメモ : 4 / 5</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Jan 2004 15:00:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[MEMO（メモ・その他）]]></category>
		<category><![CDATA[JOCV]]></category>
		<category><![CDATA[Pakistan]]></category>
		<category><![CDATA[Thinking]]></category>

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		<description><![CDATA[ktc-johnny.com（トップページ）   　&#62;　メモ帳（パキスタンにて）インデックス     　&#62;　メモ4/5/6

メモ帳その4：　先輩隊員との思い出を大切にするパキスタンの人々(2004/03/3 [...]


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<span id="more-1406"></span><br />
<a href="/pakistanmemo2.html#4">メモ帳その4：　先輩隊員との思い出を大切にするパキスタンの人々</a>(2004/03/31)<br />
みんなの記憶に残る、ながともさん・ひとみさん・しおーさんのこと。</p>
<p><a href="/pakistanmemo2.html#5">メモ帳その5：　独歩する自分に～協力隊の醍醐味について</a>　(2004/08/01)<br />
私なりに思う協力隊の醍醐味とは・・・</p>
<hr />
<a name="4"></a>メモ帳その4：　先輩隊員との思い出を大切にするパキスタンの人々　(2004/03/31)</p>
<p>私が活動する「NTCSP 国立障害者職業訓練センター」には1995年から今までに私も含めて6人のボランティアが配置されています。</p>
<p>ひとみさん（家政） 1995-1997<br />
ながともさん（竹工芸） 1995-1998<br />
しおーさん（竹工芸） 1998-2001<br />
KATOHさん（木工） 2003-<br />
ktcjohnnyこと私（養護） 2003-<br />
SHIHOちゃん（コンピュータ技術）　2003-</p>
<p>センターの人たちは、活動されていた先輩たちのことを今でも忘れていません。 「ひとみ」「ながとも」「しおー」とその当時の呼び名のまま、懐かしそうに話してくれています。</p>
<p><img height="150" alt="←センター内に飾られた活動の写真。" hspace="0" src="/image/senpai1.jpg" width="200" border="0"><br />
↑センター内に飾られた活動の写真</p>
<p><img height="141" alt="ひとみさん、ながともさんの写真" hspace="0" src="/image/senpai2.jpg" width="186" border="0">　　<img height="130" alt="しおーさんの写真" hspace="0" src="/image/senpai3.jpg" width="195" border="0"><br />
↑飾られた先輩隊員の写真</p>
<p>などが大切に飾られています。みんなの記憶に残る活動をされてきた先輩たちに敬意を表して。</p>
<hr />
<a name="5"></a>メモ帳その5：　独歩する自分に～協力隊の醍醐味について　(2004/08/01)</p>
<p>この一文は、BLOG（ブログ）にアップした内容を再考し加筆してアップしています。 </p>
<p>海援隊の「スタートライン」という曲をご存知でしょうか。<br />
&#8212;-<br />
夜明け前の薄暗い道を　誰かがもう走っている<br />
拾った小石で誰かが書いた　アスファルト道のスタートライン<br />
寒い身体（からだ）を　言い訳にして　町は眠ってる曇り空の朝に<br />
自分の汗で自分を暖めて　寂しさ目指して走る人がいる</p>
<p>今　私たちに大切なものは　恋や夢を語りあう事じゃなく<br />
一人ぼっちになるためのスタートライン<br />
<a href="http://momo-mid.com/mu_title/start_line.htm">http://momo-mid.com/mu_title/start_line.htm</a><br />
&#8212;-<br />
海援隊の歌ってメロディーは優しいのに、詩の内容からは厳しく自分を問うみたいなメッセージが伝わってきます。<br />
「スタートライン」を聞いていつもドキッとするのが</p>
<p>今　私たちに大切なものは　恋や夢を語りあう事じゃなく<br />
一人ぼっちになるためのスタートライン</p>
<p>です。</p>
<p>任地で活動を始めて1年。日記では楽しいことを多く書いていますが、悩みも抱えてきました。<br />
その悩みはとっても自分には苦しくて苦しくてしょうがないときもたびたびでした。<br />
今はインターネットやメールが毎日できる環境なので、そうした悩みを他国の同期のなかまに伝えたりもできます。<br />
それで励まされたり勇気付けられたり。<br />
これも協力隊の醍醐味だと思います。<br />
でも、最近、別の醍醐味についても考えるようになりました。</p>
<p>協力隊の原点&#8211;「ボランティア・スピリット」(3)　<br />
～隊員は一匹狼であるべきか否か～<br />
<a href="http://www.yorozubp.com/sakigake/column/990726.htm" >http://www.yorozubp.com/sakigake/column/990726.htm</a></p>
<p>もと協力隊事務局長をされた伴正一さん（お亡くなりになられました）が、ご自身が書いた「ボランティアスピリット」をWEB上で読み解いてくださっています。<br />
ここで次のようなくだりがあります。</p>
<p>「孤独、そして原点に立ち帰ること」というのはどういう意味か。伴氏は、苦笑しながら「それこそが協力隊の醍醐味、と言えるように思いますがね。経営者は孤独なり、と言うでしょう。天上天下、頼れるのは自分だけ、というのは悲壮な思いではありますが、見立て方では荘厳な、王者のみの知る境地でもあります」<br />
「そんなときに人間は、人間の原点に立ち帰ることができるんで、一生に一度、しかも感受性のある若い時にそれを体験することは素晴らしいことだと思いますよ。日本にずっといたのでは一生そんな機会はめぐってこないかもしれませんよ。　生涯的意義というのはそういうことですよ」</p>
<p>協力隊イコール技術協力という図式がいまだに強固に隊員を縛り、異文化の中でたっぷりと哀歓を味わう面がないがしろにされていないだろうか。伴氏の話を聞きながら、この部分を隊員たちはどう受けとめるのだろうかと思いを馳せた。</p>
<p><a href="/komaganememo.html#jica" >私がいままで歩いてきた道のり</a>を通して大切にしたいと思うようになったのは、「自分のあしであるく」 「自分が一生懸命考えたことならそれが一番よい選択」ということでした。<br />
協力隊の訓練で聞かされた、任地での活動のポイントは<br />
「あきらめない」「あせらない」「あてにしない」<br />
というものでした。これは、現地の人々が営々と築いてきた生活習慣や社会・文化を冷静に見極めつつ、自分の感性や決断力を大切にして活動していきなさい・・・そういうふうに捉えています。<br />
それと「自分のあしであるく」こと。インターネットで手軽に情報が手に入る時代、つい手間ひまをかける労力を避けたくなるような気がします。それと安易に答えを他人に求めてしまうような。</p>
<p>以前、ある方に教えられた言葉があります。<br />
「思ったとおりに生きて欲しい。さもないと、生きたように思ってしまう」<br />
便利さに慣れてしまうと、自分で考える苦労をさけて、他人に物事をまかせてしまっている・・・今の日本をこちらからながめるとそう感じてしまうことがあります。<br />
協力隊の派遣先の環境もいろいろ。ホントにアフリカで井戸掘りをしている・・・そんな環境もあれば、日本と大差ない場合によっては日本で生活した以上の豊かな暮らしを送ることができる場所だってあります。<br />
そのときに・・・異文化の社会を肌身に感じ、自分のものの見方のものさしはどうなっているか、自分が汗をかきつつ確かめる作業ができるのは協力隊ならではないかと感じています。</p>
<p>正直な話、20代は過ぎ去ってしまって、感受性が枯れはじめているかもの私です。<br />
どれだけ自分を研ぎ澄ましていけるかわからないけれど、なかまやネットのありがたさや便利さに足をとられないよう、もう1度スタートラインに立って歩いていこうと思います。</p>
<p>以前にもご紹介しましたが、伴正一さんの「ボランティア・スピリット」はWEB上で読むことができます。　<br />
<a href="http://www.yorozubp.com/v-spirit/index.html">http://www.yorozubp.com/v-spirit/index.html</a><br />
協力隊に興味がある・参加したいという方にはぜひ読んでいただきたい1冊です。</p>
<hr />
初版　2004年01月21日&nbsp; 最終更新日　2004年08月01日</p>
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		<pubDate>Wed, 23 Jul 2003 15:00:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
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(2003/09/03 [...]


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<p><a href="/pakistanmemo1.html#1">メモ帳その1：　協力隊活動を充実させるために大切だと思うこと</a><br />
(2003/09/03)<br />
現地に来て1ヶ月が過ぎて感じたことをまとめてみました。<br />
<span id="more-1409"></span><br />
<a href="/pakistanmemo1.html#2">メモ帳その2：　パキスタンの人々に学ぶこと</a>(2003/12/24)<br />
こちらは現地に来て5ヶ月ほど経ったころの印象をまとめています。</p>
<p><a href="/pakistanmemo1.html#3">メモ帳その3：　偶然（たまたま）という名の必然</a>(2004/01/21)<br />
活動先のセンターで悲しい出来事がありました。</p>
<hr />
<a name="1"></a>メモ帳その1：　協力隊活動を充実させるために大切だと思うこと　(2003/09/03)</p>
<p>2003年7月15日（火）11:00に成田を出発し、バンコクを経由して翌朝（っていうか日本時間では15:00）イスラマバードに到着してから、今日で50日近くが経ちました。<br />
その間、表敬訪問（日本大使館＆こちらのお役所・勤務先）・現地語学訓練（1日4時間×3週間）・ホームステイ（3日間）などを経て、ほぼ10日前の8月25日から活動が始まりました。<br />
・・・と、ちょっと前置きが長くなりましたが。<br />
率直に言って、イスラマバードでの活動については、他国の活動よりも恵まれている（だろう）部分とそうではない（だろう）部分があると感じています。</p>
<p>恵まれている（だろう）部分：</p>
<p>「住居」<br />
セキュリティの関係ということがあるのですが、住まいは大きな家の1フロアを間借りまたは1戸建てを借りることになります。（寮に住んでいるという隊員もいますが）<br />
大抵、ベッドルームは2つ～3つ、バス＆トイレも同じ数、あとキッチン・リビングというのが多いようです。<br />
ソファやベッドなどの基本的な家具ははじめからついている・・・ということもよくあります。<br />
また、日本に比べて1部屋1部屋が大きいのと、クーラーがはじめからついていることも多く、蒸し暑い夜も快適に過ごすことが可能です。<br />
家賃はJICAが負担します。（光熱費は、自分の活動費からの支出になりますが）</p>
<p>「食生活」<br />
豚肉は買うことがまず難しいですが、鶏肉・牛肉・マトンなどは比較的安価に購入できます。<br />
ファーストフード系で言えば、伝統的なもの（サモサ・パコーラー・カレーなど）は油っこいものが多く野菜も不足しがちですが、野菜や果物は豊富に安価で売っているので、自炊をすれば問題はありません。<br />
また、自炊を苦手としていても、和韓洋中のレストランは（和は1軒だけですが）たくさんあって、そうそう飽きはこないと思います。<br />
また、ビール・ウイスキー・ウオッカ・・・などのアルコール類も多少手間のかかる手続が必要ですが買うことができます。<br />
食材のことで付け足すと、高価ですがみそやみりん・・果てはたくあんや梅干しまで買うことができます。<br />
また、豆腐・もやし・冬は白菜といった日本でおなじみの食材も手に入ります。日本でもおなじみのケンタッキーやサブウェイ・ピザハットもあります。 </p>
<p>「お金を出せばモノが手に入る」<br />
イスラマバードでは、お金を出せばいろいろなモノが買えます。<br />
パソコン（デスクトップ・ノート・・ペンティアム4タイプも）・家電（ソニーのハンディカムやデジカメも普通に）・デジカメプリント（1枚10～14ルピー・・・20円～30円）・服・靴・宝石・貴金属・ギター・キーボード・・・活動費（月額365米ドル）をうまく使えば、まずまず快適に生活が可能です。 </p>
<p>「対日感情の良さ」<br />
こちらに来てからずっとそうですが、日本に対するあこがれの声は聞いても、日本がきらいだというパキスタン人には、まだ会ったことがありません。（アメリカを嫌いだという人は多いですが）・・現地ではスズキの軽４や軽トラックがタクシーやバス・マイカーとして幅をきかせており、（トヨタ・ホンダといったメーカーももちろん）・・・そういえばトヨタのハイエースも大活躍です。・・・バイクもスズキ・ヤマハ・カワサキなど日本のメーカーのものが目につきます。<br />
こちらの人にとって「日本の品物は素晴らしい」という何か統一したモノの見方があるような感じさえします。<br />
まわりくどい話しでしたが、よく聞く「日本人とバカにされて石を投げられる」ということは、まずありえないと思います。<br />
そのことは、活動をする際においても、デメリットではないと思います。</p>
<p>「大勢の隊員が同時に活動している」<br />
2001年の9.11の後に一斉退避などがあり、派遣が見送られた時期がありましたが、現在は政情も安定してきたこともあって、前隊次・今隊次ともに7,8人前後の隊員が派遣されています。<br />
イスラマバードに居住して活動する隊員も多くなってきて、異国の地で日本人がいなくてさびしい・・ということはまずありません。<br />
これは、各隊員の精神的な安定を図る意味でも大切な要素の部分かもしれません。<br />
週に何度か隊員同士で集まって食事や買い物をしながら親睦を図るということが普通です。</p>
<p>そうではない（だろう）部分</p>
<p>「男性優位の社会」<br />
イスラム国家のパキスタンでは、女性の屋外での活動・行動にかなりの制約があると思います。<br />
店の売り子はまずもって男性です。（ケンタッキーやサブウェイも男性の店員だらけですし）また、買い物に来るのは男性ってのが普通です。<br />
家族と連れ立って・・とかっていう女性は見られますが、昼間、単独で歩いている女性はあまり多くありません。<br />
頭をドゥパターという布で覆って歩く人も多いです。<br />
これは、女性隊員の行動の制約にもつながってきます。<br />
昼間、街中をひとりで歩いたりバスやタクシーに乗ることはできますが、やはり日本のそれとくらべるとなんとなく制約されている気持ちになりがちだと思います。<br />
これは、男性隊員にも言えることで、日本のように職場で女性に気軽に話しかけるということは難しいです。<br />
フランクに話せる友だちが、男女それぞれ同性同士に偏りがちになっています。<br />
このあたりのところは、やはりストレスになりやすい要因だと思います。</p>
<p>さて、いちおう簡単ですが僕なりに見聞きしたり感じたことをあげてきましたが、表題の「イスラマで協力隊活動を充実させるために大切だと思うこと」としては・・・・<br />
「パキスタン人・日本人と分けへだてなく全方位に縁のあるところから自分を深めていく。」<br />
イスラマバードに来てみて、ちょっと期待が外れた部分があります。それは、住まい・食生活などで満ち足りていることと、意外と日本人同士のつきあいに時間を割いている気がすることです。</p>
<p>僕は思い詰めてしまうところがあって、「24時間現地の人と生活を共にし、現地の人と同じレベルの生活をしたいんだ！！」って思ってきました。<br />
それが一見出来そうにない（満ち足りた環境）のでイライラした時期がありましたね。<br />
でも、ちょっとそれはせっかちなものの見方だなぁ・・・と。<br />
ここは、ちょっと表現しにくいんですが、「日本人・パキスタン人」と区別して考えるのはちょっと違うかなぁと思っています。<br />
イスラマに来る飛行機の中で書いた詩にもありますが、まずは、良い・悪いってレッテルはつけないで、その人のありのままをみつめたいって思います。</p>
<p>実際に会い、話しをしたり、食事をしたり、遊んだりするなかで感じたことを大切にしたいって思います。<br />
うまく伝えられないのがちょいともどかしいですが、このあたりはまた書きたいと思います。</p>
<hr />
<a name="2"></a>メモ帳その2：　パキスタンの人々に学ぶこと　(2003/12/24)</p>
<li>客人歓待のこころ<br />
私は、いろいろおしゃべりをするのが好きなので、イスラマバードのあちらこちらに出かけては、おしゃべりをしてきた。<br />
どんなときでも、初対面の私に対して、まずは「お座りなさい」と席を薦められ、それから「お茶を飲むかい？」ともてなされてきた。<br />
こうした経験は、今までの日本での人生経験のなかでは人付き合いの濃い農村部で暮らして以来のことだったように思う。<br />
とにもかくにも、まずは「おかけなさい」と薦める気持ちっていうのが、私にはとても新鮮な刺激だった。</p>
<p>「パキスタン人は仕事をしない」「パキスタン人は要領が悪い」など、ときどき悪口が聞こえてくる。<br />
でも、私は、今のところそのことは気にならない。<br />
むしろ、何か時間に追われて疾走するかのように生きている日本人がなくしてきた大事なものを、この国の人たちは大切にし続けているのではないかと感じている。いろいろなところでもてなされると、一層実感させられるのである。</p>
<li>子どもの扱いが上手<br />
活動先は、15才以上の青年（男女）を受け入れている。活動開始から1ヶ月ほどは自由に各クラスを回っておしゃべりしたり観察したりする機会を与えられた。そのときに感じたことは、男の先生も女の先生も、うまく生徒とつきあっているなぁということだった。<br />
言うことを聞かないと、容赦なくたたくのだが、概して言葉かけだけで生徒を落ち着かせ、活動させているように見える。<br />
また、先生などの年上の人には礼儀正しくしないといけないというしつけが、家庭でもできているようで、完全にはウルドゥ語を話せない私の指示でもわかろうと努力するし、言ったことがわかれば、その通りに行動する。</p>
<li>「ごめんなさい」は言わない。<br />
これを「学ぶこと」に含めるかどうかは意見が分かれると思いますが。<br />
「寛容である」「のんびりしている」ということといったいなのかも知れないが、「時間に遅れた」「モノを忘れた」とか、日本なら「ごめんなさい」と謝るような場面でもパキスタンの人は平然としている。今まで、何着かシャルワールカミーズを仕立ててもらったが、そのお店は、はじめの約束の期日には１回もできたためしはない。「体調がよくなかった」「電気が停電して」という言い訳はあるが、「ごめんなさい」という言葉は聞いたことがない。<br />
日本では、考えられない感覚だが、最近、その感覚に随分と慣れてきたように思う。<br />
むしろ、こうした図太さみたいなところが、ちょっとやそっとの失敗ではへこたれない強さになっているのかなと思えてきた。</p>
<hr />
<a name="3"></a>メモ帳その3：　偶然（たまたま）という名の必然　(2004/01/21)</p>
<p>今回の「メモ帳」はパキスタンのこととは直接関係ないかもしれません。あるのかも知れません。<br />
今週、悲しいニュースが活動先のセンターに伝わりました。<br />
1人の女生徒が、高熱のために先週亡くなったとのことでした。その子のことは、私もよく知っていました。<br />
<a href="/diary200312.html#saarc">先月の17日にSAARC（南アジア地域協力連合）の視察団がセンターを訪れました。（日記参照）</a><br />
で、日記には載せていませんが、その後、何人かの先生＆生徒と一緒に国立図書館のホールでひらかれた発表会に行ってました。<br />
その発表会では、歌の上手いある女生徒が「マオーンキドゥアー（母の祈り）」という曲を歌いました。発表の後は、先生や生徒たちと図書館内のチャエハーナー（食堂）でカレーを食べ、帰宅しました。<br />
亡くなった女生徒は、その時に一緒に参加して見ていたのでした。</p>
<p>歌の発表をする生徒を撮るために、デジカメを持って行ったのですが、ある先生のリクエストで見ている側の写真も撮っていました。<br />
その中に、亡くなった彼女も写っていました。<br />
お金持ちの人はさておき、一般のパキスタン人にとってカメラは高嶺の花。ですから、よく写真を撮ってとせがまれます。<br />
気軽に写真を撮れるほど豊かな人は、うちのセンターでは少ないです。<br />
亡くなった彼女にとって、生前最後に近い時に撮った写真だったかも知れません。</p>
<p>なじみの写真屋さんで大きめのサイズでプリントしてもらい、額に入れて彼女のお友だちから届けてもらうことにしました。・・・・「日本人から」ではなく「パキスタンの友だちからの贈り物」として。<br />
額に入れた写真を見ていると、”この写真を撮ったのって、たまたまだったのだろうか？”と考えていました。<br />
協力隊を志して5年の歳月がながれ、そしていま、パキスタンの地にいるのですが、めまぐるしく過ぎ去った1つ1つの出来事を振り返るとき、それらはいまこの地で活動するために必要な何かの意味があったことではないか、そんな風に思えて仕方がありません。</p>
<p>過去と現在と未来はバラバラのことではなく、リンクし合っていて、過去の出来事の積み重ねの上に今があり、いまをどう生きるかが未来への舵取りとなる。そんなことかなぁと改めて感じたりします。<br />
亡くなった彼女にとって学校代表として出た最後の場面に私が居合わせたことは、きっと何かの意味があったことだろうと思います。</p>
<p>私のよく知る生徒が突然亡くなる経験は、7年ほど前にも日本で経験しています。<br />
ある晴れた晩秋の朝、担任していた生徒の家から火災が発生し、家に1人でいたその生徒が大やけどをして担ぎ出されてきました。<br />
その生徒は、火災が起きて学校に電話してきたのでした。それを教頭先生が受けたそのとき、たまたまいつもより早く私は出勤してきていてすぐさま彼の家に向かうことができたのでした。<br />
そして、彼と一緒に救急車に乗り、市内の病院へ向かったのでした。おおやけどを負っていたにもかかわらず、彼は一言も「痛い」とか「苦しい」は言いませんでした。手を握りながら、学校で一緒に歌っていた歌を一緒に歌っていました。<br />
彼は翌朝早朝に息を引き取りましたが、意識が薄れゆくなかで恐らく最後に会話を交わせたのが私だと思います。</p>
<p>あの朝は、たまたま30分ほど早く出勤したつもりでしたが、それはほんとに「たまたま」だったのだろうか・・・答えを知ることはできませんが、私の中では「たまたま」ではないような気がしています。<br />
協力隊の2次試験で「任地はどこでもいいです」と答え、パキスタンが任地になったのですが、この地に来たことは「偶然（たまたま）」だったのでしょうか？<br />
自分なりの答えは、自分なりに活動を尽くした後に出てくるのではないかと思っています。</p>
<hr />
初版　2003年7月&nbsp; 最終更新日　2004年01月21日</p>
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		<pubDate>Tue, 15 Jul 2003 15:00:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[MEMO（メモ・その他）]]></category>
		<category><![CDATA[JOCV]]></category>
		<category><![CDATA[Pakistan]]></category>
		<category><![CDATA[Thinking]]></category>

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		<description><![CDATA[ktc-johnny.com（トップページ）   　&#62;　メモ帳（パキスタン）インデックス

パキスタンに向かう機上からヒマラヤ山脈を撮影：2003年07月16日
現在パキスタン行きのフライトは深夜到着だが、赴任当時 [...]


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<p><img height="247" alt="パキスタンに向かう机上から見たカラコルム・ヒマラヤの山々" hspace="0" src="/image/sorakara001.jpg" width="400" border="0"></p>
<p>パキスタンに向かう機上からヒマラヤ山脈を撮影：2003年07月16日<br />
現在パキスタン行きのフライトは深夜到着だが、赴任当時経由地の北京で時間がかかり、ヒマラヤ山脈上空を未明に通過できた。ラッキー。</p>
<hr />
空の小船から　ktcjohnny</p>
<p>空をわたる小船に乗って<br />
わたしはそっと小窓を開けはなち　広い世界を覗いていた。<br />
青い空のカンバスに　たなびく白い雲<br />
そして満ち満ちるは　広い広い大地<br />
尾根は　研ぎすまされた剣のように鋭く<br />
幾重にも幾重にも　連なっている<br />
大地は　時に群青<br />
時に赤茶色のいでたちで　悠然と横たわっている<br />
やがてわたしは小船を降りて<br />
その大地の中に息づく人々の　ありのままに触れるのだ<br />
どうか　そのありのままをいとおしく思える自分でありますように<br />
2003.07.16</p>
<hr />
<li><a href="/pakistanmemo2.html#5">メモ帳その5：　独歩する自分に～協力隊の醍醐味について</a>　(2004/08/01)<br />
私なりに思う協力隊の醍醐味とは・・・</p>
<li><a href="/pakistanmemo2.html#4">メモ帳その4：　先輩隊員との思い出を大切にするパキスタンの人々</a>　(2004/03/31)<br />
みんなの記憶に残る、ながともさん・ひとみさん・しおーさんのこと。</p>
<li><a href="pakistanmemo1.html#3">メモ帳その3：　偶然（たまたま）という名の必然</a>　(2004/01/21)<br />
活動先のセンターで悲しい出来事がありました。</p>
<li><a href="pakistanmemo1.html#2">メモ帳その2：　パキスタンの人々に学ぶこと</a>　(2003/12/24)<br />
こちらは現地に来て5ヶ月ほど経ったころの印象をまとめています。</p>
<li><a href="pakistanmemo1.html#1">メモ帳その1：　協力隊活動を充実させるために大切だと思うこと</a>　(2003/09/03)<br />
現地に来て1ヶ月が過ぎて感じたことをまとめてみました。</p>
<hr />
初版　2003年07月　最終更新日　2010年01月28日</p>
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<p>Related posts:<ol><li><a href='http://www.ktc-johnny.com/pakistanmemo2.html' rel='bookmark' title='Permanent Link: パキスタンメモ : 4 / 5'>パキスタンメモ : 4 / 5</a></li>
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	</item>
		<item>
		<title>雑記帳 : 駒ヶ根訓練所にて</title>
		<link>http://www.ktc-johnny.com/komaganememo.html</link>
		<comments>http://www.ktc-johnny.com/komaganememo.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 26 Mar 2003 15:00:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ktcjohnny</dc:creator>
				<category><![CDATA[JOCV（協力隊）]]></category>
		<category><![CDATA[JOCV]]></category>
		<category><![CDATA[KTC]]></category>
		<category><![CDATA[Review & Report]]></category>
		<category><![CDATA[Thinking]]></category>
		<category><![CDATA[平成15年度1次隊]]></category>

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		<description><![CDATA[ktc-johnny.com（トップページ）   　&#62;　雑記帳 : 駒ヶ根訓練所にて
パキスタンに派遣される前に経験したことや、思い浮かんだあれこれをまとめています。
私の原点～「地球のステージ」公演 （ 2003 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="/">ktc-johnny.com（トップページ）</a>   　&gt;　雑記帳 : 駒ヶ根訓練所にて</p>
<p>パキスタンに派遣される前に経験したことや、思い浮かんだあれこれをまとめています。</p>
<li><a href="/komaganememo.html#chikyuu">私の原点～「地球のステージ」公演</a> （ 2003/06/21の日記の再録 ）
<li><a href="/komaganememo.html#genkini">みんなが、元気に日本に帰ってこれますように。</a> （ 2003/06/18の日記の再録 ）
<li><a href="/komaganememo.html#gogaku">語学交流会を振り返って</a> （ 2003/06/07～08の日記の再録 ）
<li><a href="/komaganememo.html#syogai">所外活動を振り返って</a> （2003/05/29の日記の再録）
<li><a href="/komaganememo.html#jica">なぜ協力隊を目指したのか</a> ( 2003/03/27 )<br />
<a name="chikyuu"></a><br />
<h3>私の原点～「地球のステージ」公演～</h3>
<p>地球のステージHP　<a href="http://www.e-stageone.org/index.html">http://www.e-stageone.org/index.html</a></p>
<p>Youtube : 地球のステージ1-3 : 桑山さんご本人が解説されています。<br />
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=dzVNez556to" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=dzVNez556to</a><br />
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/dzVNez556to&#038;hl=ja_JP&#038;fs=1&#038;"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/dzVNez556to&#038;hl=ja_JP&#038;fs=1&#038;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>
<p><span id="more-1528"></span><br />
今日は、自分の一生の原点のひとつになった日かも知れません。<br />
それは、「地球のステージ」というコンサートを見させていただいたことによります。</p>
<p>15:00-17:00まで、森のステージでそれは行われました。<br />
この日は、体験入隊の中学生や市内・市外の市民の方も多数来所されて、立ち見が出るほどでした。<br />
公演して下さったのは、桑山紀彦さんといって、医業の傍ら、NGO等で世界各地に赴き、援助活動を行っていらっしゃいます。<br />
公演は、大型スクリーンで世界各地の映像・写真を映しながら、ある時はトーク・ある時はギター＆バイオリンなどで演奏＆歌唱・・というスタイルで進んでいきました。</p>
<p>はじめての海外旅行先であったインド～NGO活動に足を踏み入れることになったフィリピン～ケニア（キリマンジャロ）～ペルー（チチカカ湖・アコンカグア）～アラスカ（マッキンリー）～スペイン～ソマリア～東ティモール～ユーゴスラヴィア～パレスチナ・・・・とすすんでいきます。</p>
<p>私がこころに残った場面、言葉を記します。（正確ではないけど）</p>
<p>東ティモールでのアメリカ人医師の言葉<br />
人生には、自分でとめられないものが3つある。<br />
ひとつめは、「生まれること」<br />
ふたつめは、「老いること」<br />
みっつめは、「人を好きになること」<br />
理由もわからないが、人を好きになることは、とめられやせん。ボランティアだから東ティモールにいるってんじゃなくて、東ティモールの人々が好きだからいるんじゃ。それ以外になにが必要かね？」<br />
フィリピンで出会った、目の悪いおばあちゃんに、桑山さんが目薬を渡したとき・・涙をポロポロ流してお礼を言われたこと・・生まれて初めてのことだった・・・<br />
スペイン～バルセロナでの、とても仲の良いおじいちゃんと孫娘の笑顔。<br />
ソマリアで、治療を受けに来た子どもの母親が目立つ派手な服を着ているのを、なぜ着ているのか桑山さんが尋ねたとき・・<br />
「子どもたちが、家に帰ってきたとき、暗い色の格好をしていたら、こころまで暗くなるでしょ。私は一家の太陽なのだから、こうして明るい服を着て、みんなを元気づけているのよ」<br />
ユーゴスラヴィアのサッカー場だったところにつくられたお墓・・等身大の大きさで土葬されるので子どもの背丈のお墓が多いことに桑山さんが、足がすくんでしまったこと。<br />
ユーゴスラヴィアに帰国して、父親と再会した２１歳の娘・・・地雷を踏んで両手首・片足首を吹き飛ばされた・・・笑顔の何と美しいこと。<br />
25メートル四方（50メートル四方）のせまい難民キャンプ・・一歩も外へ出ることのない難民たち。<br />
パレスチナで、救援のために向かったパレスチナ人医師の最期。<br />
ジェニンでの虐殺・・・世界が全く報道しないこと・・・パレスチナ人のことば「ただ、真実のみ見に来てほしいだけです」</p>
<p>特に、ソマリア～ユーゴスラビアの話になってから、涙がつぎつぎ流れてきてしょうがありませんでした。<br />
なぜ、涙がでるんだろう・・・理由のひとつは、あまりにも悲惨でかわいそうだと感じたからだと思います。<br />
そして、もうひとつは、自分がこの5年間探し求めていた答えに出会えたから、それに出会えたうれしさみたいなものもあったと思います。</p>
<p>私が、協力隊を志したのは、教師を年度途中で辞めるなど中途半端に生きようとしている自分を立ち直らせるための目標としたからです。<br />
たぶん、派遣されれば、ほぼ順調に2年間の任期を終えて、日本に帰ってくると思います。<br />
そして、結婚して、子どもが出来、北海道でペンションを開き、農業をやり、好きなホルンを吹き、障害者サポートをやり・・・・・健康であれば、70歳80歳で一生を終える・・・・ということになるでしょう。<br />
そういうシナリオは頭に描くことができていましたが、どうも何か足りないと感じていました。なんのためっていうか、どういう生き方をしたいのかというところで、何かひと味足りないな・・・と。<br />
それが、このコンサートに出会って、自分なりの、ひと味がはっきりとわかりました。<br />
それは「ありのままの”ひと”を、じっと見続けること」です。<br />
涙が止まらなかったシーンのひとつに、日本でおじいちゃん・おばあちゃんが道を歩いているシーンがあります。<br />
ほんと、なんの変哲もない、普通その場に居合わせても、何の感慨も持たない光景なのですが、とてもいとおしいものに感じてなりませんでした。<br />
自分のからを一歩出て、他人にこころを寄せていくとき、見えてくる光景が一変しました。<br />
何気ない日常が、こんなに新鮮に見えるものか・・・と。</p>
<p>今の日本は、信じられないような事件が多発していますが、その原因の根っこは、人々のこころの眼が、他人を見ているようで見ていないことにあるのだと、理屈ではなく、感覚の部分でわかりました。<br />
人生のプランとしては、やはり北海道に帰って、結婚して、農業やペンションをやり・・・というスタイルは変わらないと思います。<br />
それにひと味を足すように、他人の風評や意見ではない、自分のこころの眼で世界をうつしとり・こころを寄せていく・・そういうスタイルをとてもとても大切にして生きていきたいと固くこころに誓いました。<br />
桑山さん、スタッフのみなさん、私の人生にとって大切なものを教えていただき、ありがとうございました。 </p>
<hr />
<a name="genkini"></a><br />
<h3>みんなが、元気に日本に帰ってこれますように</h3>
<p>3時からの講義は、「海外交通事情」でした。<br />
まず、今までになくなられた協力隊員の先輩方を追悼しつつ、その事故現場の写真やメモリアル（墓標・墓碑）の写真のスライドをみました。<br />
そして、先週、各グループで話し合った記録をもとに講師の先生がコメントをつけていきます。<br />
時には厳しく、時には賛辞の言葉をかけられながら・・・・・・</p>
<p>これは、とても自分のためになりました。<br />
任国の交通事情は、すべて違いますが、いろいろなケースを聞いていると、まるで自分のことのように感じ取ることができます。<br />
とても、自分のためになった講義でした。<br />
そして、思い半ばでこの世を去らなければならなかった先輩たちのことを思うと、せつなく、悲しくなっていました。</p>
<p>そして・・・・・<br />
15年1次隊の仲間が、みんな、元気に任国から帰って来て欲しいと、強く思うようになりました。<br />
まずは、自分が気をつけていくことだと思いますが、それでもなにかできないかな・・・・・と考えまして、自分のホームページのトップに、四つ葉のクローバーの画像を貼って、その願いを表そうと思いました。<br />
もしかしたら、感傷的すぎると思われるかも知れませんが、自分への安全に対する自戒の意味もこめてやりたいと思います。<br />
15年1次隊の仲間全員が元気に帰国するまで、このスタイルで、自分の願いを表していきたいと思います。<br />
まずは、無事に訓練を修了することが先決ですが、みんなの無事と活躍を祈ることのできる自分であり続けたいと願っています。</p>
<hr />
<a name="gogaku"></a><br />
<h3>語学交流会を振り返って</h3>
<p>この日記は、日曜日の夜に書いてます。え、なんでかって。<br />
いろいろスケジュールがたてこんでいて、パソコンに向かえたのが、やっと今になったからです。<br />
ほんと、密度の濃い1週間でした。<br />
午前中は、語学交流会の準備などで過ごし、午後になりました。<br />
ウルドゥ語のゲストは2人ということは聞いてましたが、どんな方かは知らないままちょっとどきどきしながらそのときを待ちました。</p>
<p>ゲストのお一人はサフェールさんといい、情報処理にかかわるお仕事で日本においでになったそうです。<br />
背の高い180センチくらいの方です。なんせ、とても澄んだ目をされていると感じましたね。</p>
<p>もうお一方はアンジュムさんといい、看護についての研修で、日本においでになったとのこと。<br />
やさしい物腰の、そして、あたたかい雰囲気を持ったナイスレディです。</p>
<p>13時から15時までの2時間は、語学クラスでの交流の時間でした。<br />
一応、おりがみやけん玉などの日本の遊びを紹介する準備はしていましたが、結局お2人にウルドゥ語を教えて頂くという時間になってしまいました（笑）。<br />
そして、、、15時からは、「森のステージ」というところで全体の交流会がありました。<br />
はじめの15分ほどは、ゲストの方とご一緒にトークをさせて頂いて、その後は、アトラクションの準備をさせて頂いてました。<br />
・・・・・・実は、ずうずうしいかも知れませんが、この全体交流会で3つの出番がありました。</p>
<p>ひとつは、オカリナ演奏でした。<br />
約15人ほどの方で「いつも何度でも」という曲を演奏しました。みんな練習し始めて日が浅く、もっと練習すればいい音が出ると思いますが、今できるベストの演奏ができ、とってもよかったと思います。<br />
それと、会場の入退場を「さんぽ」の曲にあわせながらぞろぞろ・ずんずん歩くのはとってもユーモラスだったと思いますし（笑）。</p>
<p>しかも、みんな民族衣装で入退場＆演奏しましたからね（笑）。</p>
<p>ふたつめは、阿波踊りでした。<br />
徳島出身の方が3人いらっしゃいますが、みんないいキャラ（謎）をしていて、その人柄にひかれてでしょう、たくさんの方が集まって披露することができました。<br />
しかも、照明＆スポットライトもこころよく引き受けてくださったので、とてもダイナミックなものになりました。<br />
まず、場内の電気が消えて真っ暗になります。そこへ、かけ声をかけながら男おどり＆女おどりのダンサーが入場していきます。<br />
・・・・場内のセンターに着くと、すでにまわりもいいノリになっていて、一緒になって踊って下さるかたも出てきました。<br />
そして、男おどりだけ、女おどりだけのスペシャルステージも織り込みつつ、最後はステージで乱舞して、「15年1次隊、ヤーッ！！」とせりふをきめてフィニッシュでした。<br />
踊りって素晴らしいですね。<br />
無心になって踊ってると、心が弾むだけでなく、余計なものがとれていって、澄んでいくような感覚でした。<br />
そして、何よりもゲストの方をはじめ、仲間のみんなも楽しんでくれたのがうれしい。<br />
いいひとときになったのがうれしかったです。</p>
<p>みっつめは、スピーチ。<br />
各言語ごとに1分間で、お礼の言葉を言うことになっていました。<br />
僕のウルドゥ語は、終わりから1つ前の出番でした。<br />
発表される方は、カンペなしで、生き生きと話をされていたので、すごいなぁ・・・・、と見ていました。<br />
僕は、小道具がないと生きていけない人（笑）なので、<br />
ちょこちょこっとJOCV（協力隊）や自分の名前を書いたボードを持って、いざ、壇上へ。<br />
壇上で話すって、気持ちがいいですねぇ。<br />
約2,3分話させていただきましたが、場内のみなさんに「ジョニーってよんで！！」とお願いして、場内中の方が（ゲストの方含む）、<br />
「ジョニーっっっっっっっっっっっっ！！！」<br />
って、言って下さった時は、気持ち良かったっすねぇ。<br />
あと、サフェールさん、アンジュムさんのお名前を呼んで、パキスタンメンバーと「パーキスターン、ジンダバード！！（パキスタン万歳！！）」って、言った時も、気持ちよかったですねぇ。</p>
<p>実は、今週が4月に入所して以来、一番きつかった1週間でした。<br />
いろいろな経緯で、いろいろな出演の機会をいただいたのですが、1日のなかで、自分の裁量になる時間（昼食後・夕食後・21時から就寝まで）が、練習時間に充てられてしまい、休息の時間が十分にとれなかったので、四六時中眠かったし、なによりこころの余裕もなかったです。<br />
でも、この日記でも書いてますが、こうしたことは、ここでしかできないなぁ・・・と思いながら、投げ出さないでやり抜けたと思います。</p>
<p>んで、その結果はというと・・・・・・。<br />
特に、スピーチが終わってから、「いや～、今日のスピーチは、とっても良かったよ！！」と声をかけて下さることが、いつもの3倍増しでありました。<br />
それと、ゲストの方も「Nice Speech!!」と声をかけて下さいました。<br />
この日、17時半にゲストの方は、ＫＴＣをバスで出られたのですが、踊り仲間のツヨポンと一緒に阿波踊りを踊りながらお見送りすると、バスの中でも一緒に踊って下さっていました。<br />
「いや～、ジョニー。アトラクションごとに”あっ、またジョニー出てる（笑）ってみんなでいってたんよ」なんて感想もいただきましたが、なにより、参加されたみなさんに楽しんでいただけるひとときをつくるお手伝いができたことを、とてもうれしく思ってます。</p>
<p>オカリナの主宰をした、うりちゃん。<br />
沖縄の歌の紹介・演奏をした、はーみ＆るみねぇ＆ゆきのさん。<br />
阿波踊りの主宰をした、さなえちゃん＆ゆり＆みっちゃん、照明でお手伝いしてくれた、てっちゃん＆りょうくん＆しげさん。<br />
ビデオの撮影をしてくださった、いけやん。<br />
それにそれに、出演されたすべての仲間と、一緒に楽しんで下さったゲストの方々＆仲間＆語学の先生方＆職員の方。<br />
本当に、本当に、ありがとうございます。</p>
<p>んで。<br />
17時半に、ゲストの方をお見送りした後、急いで身支度して、街中へ繰り出しました。<br />
今日は、とても多くの方が繰り出しましたねぇ。（バスがすし詰めでしたから）<br />
駅前の「わかまつや」というところ（ブラジル料理のお店）で「三十路会」の第2回目の飲み会が。<br />
今日は、前回の半分くらいの人数でしたが、なぜか23歳前後の、活きの良い（笑）メンバーも加わり、楽しいひとときでした。<br />
飲み会恒例の「女の子のなかで、気になる子はだれ？」っていう話とか、脱ぎ出す人もいて落ち着いていて、それでいて楽しいひとときになりました。<br />
本部長、きよちゃん、うらん、まきさん、ゆうじさん、つむぎさん、たのしゅうございました。<br />
一生の思い出に残る1日です。</p>
<p>「2003年6月8日（日）」</p>
<p>え～、土曜日の日記は、日曜日に書いて、日曜日の日記は月曜日に書く・・・そんな今日この頃ですが。<br />
前夜は、いい酔っぱらいになって、ＫＴＣに帰ってきました。<br />
んで、カップヌードルをすすってから、快眠・快眠・快眠・・・・。</p>
<p>日曜日は5時に起きて、ちょいと準備を。<br />
実は、前日の交流の際に、サフェールさんが、「日本の都道府県について、どんなのがあるか教えて下さい」とおっしゃっていたのですが、説明できないまま終わってしまったので調べてみようかと。<br />
図書資料室に行くと、ちょうど良いことに「JAPAN ALMANAC」っていうデータ本があり、そこに英語で都道府県の位置やデータが書いてあったので、ラッキーとばかり、借りました。<br />
あと、アジアのフォークソングを収録した本も見つかり、それも借用。<br />
駒ヶ根の地図に英訳をつけたりコピーしたりして、時間を過ごしました。</p>
<p>8時過ぎ。<br />
バスで、光前寺まで行き、ゲストを待ちました。待つこと15分ほど。ゲストの方々が到着。<br />
サフェールさん・アンジュムさんと固い握手をして、再会を喜び合いました。<br />
そして、サフェールさんが「アーゲーチャレン（先へ行こう）」とリードして下さり、一同はまず光前寺へ。<br />
この日は、朝から快晴で、アルプスの山並みもくっきり見えて、とても気持ちがよかったです。<br />
光前寺では、山門～石畳～光り苔～三門～鐘楼～本堂～お墓～三重の塔を順番に。<br />
鐘楼では、「パーキスターン ジンダバード！！（万歳）」とばかり、サフェールさん・アンジュムさんともに鐘をついていらっしゃいました。<br />
お二人とも日本のお寺には興味しんしんのようで、「私はイスラム教だが、日本の神とはどんなものぞや」とか「あなたは仏教徒か」と盛んに質問されていました。</p>
<p>その次に、徒歩で2キロほど離れた「駒ヶ根ファームス」というところへ移動です。<br />
途中、オカリナで「さくらさくら」を吹いたり、パキスタンの歌を歌ったり、写真を撮ったりわいわい言いながら歩いてました。<br />
他のグループのゲストともお話をしたりね。</p>
<p>そして、歩いている内に気づいたのですが、お二人と私たちの距離が、とても近くなっていることに気づきました。<br />
昨日は、どちらかって言うと何となくOfficialな感じで、うち解けつつあるが、なんとなくFormalなところも・・・ありましたが、今日は、腕を組み、肩を組み、笑い、会話も弾む・・・・そんなひとときでした。<br />
んで、サフェールさん・アンジュムさんが特によろこんで下さったのが、</p>
<li>都道府県の資料などを渡したとき・・・「バホット アッチャー　へ」と喜んでくださいました。ちょこっとだけでも、お二人のリクエストに答えられたようでうれしかったですね。
<li>駒ヶ根ファームスについて、アイスクリームを買うときに、実はサフェールさんが買ってあげると言って下さったのですが、ここ（駒ヶ根）では僕たちにおごらせてくれ、と言ったとき、「よくぞ言ってくれた、それでこそ、もてなしの心だ！！」 という感じで喜んでくださいました。
<li>サフェールさんに「あなたはJICAからいくらお金をもらうのか」と聞かれ「額はたぶん少ないけど、パキスタンのために一生懸命がんばるよ」と答えたとき、サフェールさんの顔がぱっと輝いて「よくぞいった」と握手してくださいました。
<p>時間は、あっという間に過ぎ去り、サフェールさんとは固く抱き合って、アンジュムさんとは固い握手をして、名残を惜しみながら、いったんのお別れをしました。<br />
「いったん」というのは、お二人とも、秋までにはパキスタンに戻られるので、またお会いすることができるということ。<br />
「困ったことがあったら、電話してね」と電話番号の他、メールアドレスまで教えて頂きました。<br />
こうして、日本にいながら、パキスタンの友人を2人つくることができ、うれしいです。<br />
11時過ぎにゲストの方を乗せたバスが、駒ヶ根ファームスを出発しました。<br />
そのバスをまた、ツヨポンたちと、阿波踊りをしながら見送りました。<br />
また、バスの中から身を乗り出すように見て下さる方もいて、うれしかったですね。</p>
<p>バスを見送りながら、肩の荷が下りた心地がしました。<br />
とてもきつい1週間だったけど、このときのためにあったんだと、なんかすべての疲れが洗い流されていく心地がしました。<br />
このあとは、ダディと一緒にプラプラとベルシャインの方へ。<br />
途中通り過ぎた、バス乗車のメンバーからは「あの2人濃い～ね」と言われてたようですが（笑）。<br />
TSUTAYAでCDを返却・レンタルしたり、ベルシャインや駅前で買い物をしたりしてKTCに戻ってきました。<br />
その後は、散らかりまくった部屋をきれいにしたり、HPの更新＆レポート作成＆その他いろいろをして過ごしました。</p>
<p>いよいよ、土日休みはあと2回。<br />
実質2週間ほどで、語学などの主要なプログラムは終了してしまいます。<br />
みんなとの別れがあるということでもあります。<br />
別れのことは、考えたくない・・・・そんな日々になってきました。</p>
<hr />
<a name="syogai"></a><br />
<h3>所外活動を振り返って</h3>
<p>今日は、所外活動（3回目）の日でした。</p>
<p>所外活動ってゆうのは、KTC（駒ヶ根訓練所）の「実施要領」ってのを見ますと・・・・</p>
<p>&#8220;駒ヶ根市内の各種社会福祉施設や、農家への協力活動を通し、地域社会との交流を深めつつ、不慣れな社会での振る舞いと行動を考える機会とする&#8221;ということであります。</p>
<p>私なりに要約しますと、&#8221;駒ヶ根の人たちと仲良くなりましょう&#8221;ってことになります。<br />
４月に入所してすぐ、活動先一覧を参考に希望調査がとられます。（希望通りいくとは限らない）<br />
僕は、協力隊に行きたいと思ったのが、5年前の北海道の牧場でのことだったので、「牧場のあるところに行きたい」という希望を出しました。<br />
その願いが通じたのか、活動先はY本H志さんという、稲作＆肉牛肥育のお宅でした。</p>
<p>5月8日（木）(1回目)<br />
大雨で、ずぶぬれになって、お宅に到着。早速、着替えのつなぎを出して下さる。<br />
田植えの準備の予定だったが、雨でできないので、終日、牛舎内の仕事（掃除・ワラ切り）。<br />
・・・むちゃくちゃ軽作業。切ったワラをベッドに見立てて、ハイジの気分になりまくり。<br />
昼食は、焼き肉（豚）＆サラダ＆スパゲティ＆レンコンの煮物＆手作りピザ・・・もういっぱいすぎて食えましぇ～ん。</p>
<p>5月16日（金）(2回目)<br />
The田植えの日。苗代で育てていた苗を田植機にセットするための肉体労働Only。</p>
<p>1 苗床を覆っていたシートの骨組みを外し、30本ずつ束にする。<br />
2 田植機用に育苗箱に入った苗が苗床にしっかり根付いているので鎌などを使って根切りする（1000枚以上はあったはず）<br />
3 根切りした育苗箱をユニック（トラックについているクレーンのこと）で運べるように大体40箱ずつ鉄製のトレイに入れていく<br />
バケツリレーよろしく、１箱5,6キロはある育苗箱をこの日だけで500以上は受け渡ししたんですよね。これが一番きつかったなぁ。<br />
4 代掻きが済み、田植え直前の田を何往復もして、農薬をまく。<br />
ひざまでつかるぬかるみの中を歩くのは、ダイエットにとても効果的なことが分かりました（笑）<br />
このような仕事を5時過ぎまで、びっしりと。疲労がすぐ来たことに、自分はまだ若いんだ（笑）と喜びつつも、日曜日までぐったり。</p>
<p>んで、3回目の今日となりました。<br />
今日は、その育苗箱をひたすら、Wash Wash Wash・・・・・・・・・・。<br />
育苗箱洗い機ってのがありまして。水を出しながらブラシが回転して、どろを落とす仕組みになってます。<br />
それに通して、落としきれなかったどろをたわしなどでこすり、水洗いしてパレット（フォークリフトのツメが入る木の乗せ台のこと）に載せる。・・・・・それを分担して、5時過ぎまでやってました。<br />
はっきりいって、仕事は大変です。きつくて。<br />
でも、このY本H志さん宅に来た、先輩・私たち・後輩の方は、みんな、また、ここに遊びにくるでしょう。<br />
なぜか。<br />
それは、Y本H志さんご夫妻の人柄＆これでもか！っていうもてなしにあると思います。<br />
まずはお父さん。声をがなりたてるってことはないですが、よく働き、それととても優しい。おかあさんが惚れるのも無理はないな（納得）と。</p>
<p>そして、名物はお母さん。<br />
まず声がでかい。ずけずけストレートに話されるんで、その魅力にみんな引き込まれていきます。<br />
そして、心遣いがとてもきめ細やか。1回目のときの着替えもそうでしたね。<br />
それと、よく動く動く動く。<br />
みんなは、まずここに惚れていきます。</p>
<p>そして、もてなし。見返りなど、何も求めていませんが、食事がゴージャスすぎます。<br />
3回目の今日などは特に。<br />
こちらのお宅では、「村沢牛（むらさわぎゅう）」という銘柄の黒毛和牛を肥育されていて、それを京都の市場に出荷されています。高い部位は100グラム2000円以上はするんですよ。昼食は、そのお肉を京都の精肉店から送ってもらって焼き肉♪ ← 炭で焼きながらですよ。<br />
すいません、今まで食べていた肉、あれは牛肉だったんですかねぇ・・・っていう美味しさです。<br />
・・・・みんな、口数も少なく、食べ尽くしてしまいました。<br />
そして、チョー絶品は「ユッケ」。<br />
その場で刻んだ村沢牛に卵黄と特製タレを混ぜあわせて、いただいてみました。<br />
・・・・・すみません、涙流していいですかっていうくらいの美味しさです。<br />
1人前10000円以上の牛を、みんな食べ尽くしてしまいました。<br />
そして、5時の作業終わりには、もてなしのお茶に「五平餅」。<br />
所外活動の時は、ＫＴＣから昼食の仕出し弁当が支給されるのですが、そのご飯をつぶして団子にし、焼き肉のときの炭でこんがり焼いて、サンショウ＆くるみ＆味噌のあんをまぶしてできあがり・・・っていうヤツでした。<br />
・・・・これがまた美味しい♪・・・・KTCの夕食がこのあとすぐでしたが、食べれませんでした。（←五平餅の食い過ぎで）</p>
<p>そして、おみやげに、ストレート100％のリンゴジュース（ほぼ自家製で混じりっけなし）を2本いただいて、帰ってきました。<br />
いや～、すごすぎです。こんなにしてもらっていいの？てな感じです。<br />
7月3日の修了式のときに、来て下さるとのことなので、メンバーみんなで、感謝のプロジェクトを極秘企画中です。<br />
今日で、79日分の43日が終わりです。<br />
野外訓練・所外活動が終わり、イベントが1つ1つおわるたび、ここを離れなければならないさみしさを感じるようになってきました。<br />
これは、1次隊のメンバーみんなが感じていることだと思います。<br />
今日、育苗箱を洗いながら、話していたことですが、私たち同期のメンバーが必要になってくるのは、実は、任国から帰国してからではないかと。<br />
2年間の任国よりも、はるかに長い人生を、一緒に歩いていく仲間が多ければ多いほど、人生の質と量は、すばらしいものになるのではと思います。<br />
その意味でも、KTCでしっかり友情・助け合い・励まし合いの土台をつくっていきたいと、心に刻んだ１日でした。 </p>
<hr />
<a name="jica"></a><br />
<h3>なぜ協力隊を目指したのか </h3>
<p>1998年4月、新卒4年目の私はA中学校に転勤しました。1年担任（学年1クラス＝28名）それと社会科の教科を担当しました。</p>
<p>A中学校が農村地帯にあるからか、素朴で落ち着きがあり、真面目な印象の子どもが多いのですが、出身校以外の子どもとはなかなか打ち解けようとしないように私は感じていました。また、男子と女子の間もしっくりいってないことも気になっていました。<br />
しかし、「問題行動」というのは全くありませんし、他の人なら、この１年生の子どもたちを「見た感じは活発ではないけれど、静かで落ち着いた子どもたち」だと感じたと思います。</p>
<p>しかし、私は</p>
<li>何につけても（ホームルームや授業も含めた私の見える範囲で）発言が出ない
<li>学級活動（係活動、日直活動）で自主的に子どもが動けない
<li>日に日に子どもの目が死んでいっていると強く感じられる
<p>ことを何ともできない自分の無力感に、いたたまれなくなる気持ちを日に日に募らせていきました。<br />
そうした自身の悩みを、私は同僚を含む他の人に積極的に打ち明け、一緒に考えてもらうということができませんでした。<br />
その結果、「このままでは、このクラスがダメになる。それは、私の責任だ。私は、教師の資格がない。このまま私が担任を続けてはいけない。１年生の早い内、１学期に私が担任を辞めれば、子どもへの影響は最小限におさめられる。よし、私は教師を辞めよう。」という発想しか受け入れることができなくなっていました。</p>
<p>そして、6月中旬には1度目の辞表を校長に提出しました。<br />
そのときは校長から「1年間、とにかく悩みを俺に預けろ」と言われて気持ちを持ち直し、頭を丸刈りにして一からやり直そうとしました。<br />
しかし気持ちは数日と持たず、7月初旬には再び辞職を決意していました。<br />
そのときには、「男が一度、身の処し方を決めた以上は絶対にその決意は変えない」と思い詰めていました。<br />
7月の中旬になると、教育委員会の方が慰留に来るだけでなく、前任校の同僚の先生が車で何時間も離れた地から駆けつけてこられたり、校長からの電話で知った実家の母と妹が北海道まで来て説得をしに来るということもありました。</p>
<p>「休職してはどうか」「一度教員を辞めると再びやることは難しいから考えてみては」とも言われましたが、私は「休職という身分保障はいらないので7月一杯でやめる」の一点張りでした。</p>
<p>そして、校長室で辞職の最後の念押しがされた後、正式に依願退職の手続きがとられました。<br />
7月25日と記憶していますが、1学期の終業式の際に離任式が行われ、久しぶりに出会った子どもの前で離任の挨拶をし、その後、教室で通知表を私が子どもに手渡しをし、簡単に挨拶をした後、別れました。</p>
<p>このときのクラスの雰囲気はどう説明してよいか・・・敢えて表現すれば一見平静を見せていましたが、子どもにとってはあまりの衝撃で、感情の表現がしようがないというか、真空状態にあるというか、そうとしか表現できない空気であったのを今もはっきりと感じ取ることができます。<br />
7月31日をもって教員を退職しましたが、晴れ晴れとした気持ちは全くなく「もうどうにでもなれ！どうにもならんかったら死ねばいいだけやし」と思っていました。</p>
<p>8月20日に家を出ることにしていましたが、次にどこかに家を探すという気持ちは全くなく、まあ、住み込みの仕事を見つけるかというぐらいに考えていました。<br />
アルバイト雑誌を買い求め、何となく選んだのが牧場（乳牛）の仕事でした。<br />
（のんびりしてていいかなあというぐらいの気持ちでした。）<br />
ちょうど、人手不足だということもあって8月20日に家を出た次の日の夕方からは、その牧場で搾乳の仕事をしていました。<br />
朝5時から夜9時過ぎまで、昼間に牧草狩りがあると本当に休みなく働きました。<br />
最初の3日間で足の皮がめくれ、毎晩湿布を足に貼って寝るくらいでした。</p>
<p>そして余りに働きすぎると余計なことを考えなくなるというのか、「死にたい」という気持ちはどこかに追いやられてしまいました。<br />
「これからどうしようか」ということをずっと考えるようになっていきました。</p>
<p>まず思ったことは、私の生きざま、特に年度途中で担任を辞めてしまうような「中途半端で」「衝動的で」「極端から極端に走る」行動をしてしまう面をどうすればよいだろうかということでした。<br />
考えていくうちに“自分で決めたことを最後までやりとおす”経験を是非したいと思うようになりました。<br />
（入試や教員採用試験は合格できましたが、努力しないままに何となく合格してしまったという気持ちがありました。）</p>
<p>次に思ったのは「人の役に立つ仕事がしたい」ということでした。<br />
私の場合､人に対してとても親身になれる部分と拒絶的・冷淡になる部分が同居していて、人に冷たい対応をしたなと思った後は、親身になれる部分の私との葛藤になってしまい、かえって落ち込むことをよく経験していました。<br />
そんな自分を乗り越えるために人のために尽くせると実感できる仕事がしたいと思うようになっていました。<br />
このようなことを、いろいろな感情の波に呑まれながら、少しずつ形づくっていったように思います。<br />
そうした考えから「海外ボランティア」ということが一つの目指す方向性に見えてきました。</p>
<p>具体的に「青年海外協力隊」の応募を考え、資料を取り寄せて読んでみると、養護学校教員免許を取得しておけば可能性が無くもないことが分かりました。更に調べていくうちに、教育大学には養護学校教員免許を取得できる専攻科があることが分かりました。<br />
<a href="/jocv-index#syutugan">>> 青年海外協力隊に出願するまで　http://www.ktc-johnny.com/jocv-index#syutugan</a></p>
<p>1998年夏から翌春にかけて、猿払村・東藻琴村の牧場で仕事をしながら準備し、1999年4月北海道教育大学札幌校の特殊教育特別専攻科に入学しました。<br />
1年半かけて養護学校の免許をとり、2000年12月から、札幌・函館の養護学校で期限付き教諭の仕事をさせていただきました。</p>
<p>2002年春、協力隊「養護」の部門に応募して、8月「パキスタン」の通知をいただきました。<br />
2003年3月20日、イラクで戦火が拡がり今後の予断を許さないところですが、生きることに一生懸命な人たちに出会って学ぶことが出来ればと思います。</p>
<hr />
初版　2003年3月27日 最終更新日　2003年06月21日</p>
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